まさか小宮のパンチが当たるなんて! 奇跡!? でもあんまり威力はなかったのか、二歩下がっただけでイツキの足は止まる。 ふらつくこともなく、キッと小宮に視線を戻す。ダメージなんてほとんどなさげ。 だけど、その一撃はイツキを驚かすには十分だったようで。 「てめっ……」 顎に手をあてがいながら、小宮を睨むイツキからはさっきまでの余裕が消えていた。 「こないだの……お返し……」 一方の小宮はというと。まるでこっちがやられたかのようなフラフラ状態。 最後の力だったのか今にも倒れそう。 「大丈夫!? 小宮!」 あたしは駆け寄ってふらつくその体を支えた。 「……ああ。思い出した。確かにあん時、俺がてめぇに同じことしたな……」 「さっき思いついたんだけどね……」 「いいぜ、認めてやるよ。確かにてめぇはただの優等生じゃねぇ……」 凄いよ小宮! イツキと張り合うなんて! これでイツキも目が覚めてくれれば―― だけど、そんなあたしの考えは甘かった。 「――今まで会った中でも、最っ高にムカつくメガネだ」 パキパキと指を鳴らしながら。イツキは再び憎々しげな表情で吐き捨てたのだ。 そんなっ。 「ご褒美に病院のベッドで寝かせてやるよ」 イヤだ。もうこんなの見たくない。こんなの―― 「もうやめてよイツキ!」 たまらず力一杯叫んだ。 止めなきゃ。イツキを止めなきゃ。あたしにだって何かできるはずなんだ。 なんとかしたい。 だって、こんなことばっかして一番傷付いてるのは―― 「ダメだ。ソイツは再起不能にしてやらなきゃ気がすまねぇ。いちいち俺のカンに障るんだよソイツは。弱いくせに生意気そうな目も。分かってる風なクチ叩くのも――」 小宮から手を放して立ち上がり、勇気を振り絞ってイツキに足を向ける。 「それは、小宮が分かってるからだよ」 「っ! 比奈さん、危ないから下がってて!」 「ヤだ」 ごめんね小宮。あたしを心配してくれるのは嬉しいけど。 後ろから腕を引く小宮の手を振り払って前に出た。 「……何をだよ」 あたしを睨むイツキの険しい目を真正面に受けて立つ。 あたし、今までちゃんと見てなかった。イツキのこと。 大事な友達なのに。イツキの痛みを全然分かってなかった。 ごめん、イツキ。 あたし、バカで、鈍感で、イツキを止める力もないけど―― 「自分の言葉に、イツキが一番痛がってるってこと」 守りたい。 「っ! ……比奈。つまんねぇこと言ったらいくらお前でも殴るぞ! そこをどけっ!」 「どかない! 怖くないよ、そんな脅し。だってイツキにはできないって分かってるもん!」 守りたい。 二人を――小宮を、イツキを。 守りたい! 「るせぇ! 女だからって容赦しねぇぞ!」 「嘘つき! 本当は人を殴るのなんか好きじゃないくせに! 知ってるよあたし。いっつも人を殴った後、虚しそうな顔してるイツキのこと……どうして自分で自分を傷付けんの!?」 「比奈っ!」 「ダメだよ、どかない。……あたしは、好きな人が傷付くのも、大事な友達が傷付くのも見たくない。これ以上やるんならあたしだって全力でイツキを止める!」 バッと両手を広げた。二人の間を阻むように。 それがどんなに無茶でも。意味のないことだとしても。 あたしがイツキにできることは、このくらいしかないから―― 「比奈さん……」 小宮の手があたしの肩にそっと置かれる。あったかくて気持ちいい手―― あたしを包んで、守ってくれる手。 イツキにはこの手を差し伸べてくれる人がいない。いないんだ。 涙が零れた。 「比奈……」 呆然とあたしを見つめながら、徐々に勢いをなくしていくイツキ。 目に戸惑いが浮かび、拳が下りる。 怒りの炎を消したイツキは子供みたいにか細く見えた。 大事な友達。 本当は優しくて、傷付きやすい友達。 「友達だから……止めたいんだよ……」 きっとイツキは何があったかなんて教えてくれないだろう。 真面目な話は冗談で誤魔化しちゃう奴だから。 だから、イツキの傷を知ることはできないけど――けどなんとなく、分かった気がする。 イツキはあたしと同じものを持ってるんだ。 暗い部屋の隅でうずくまってた子供時代――その記憶を共有する仲間。 だけどあたしとイツキには決定的に違うものがある。あたしにはママの愛があった。 イツキにはなかったんだろうか。大事にしてくれる人が。愛してくれる人が。 いなかったんだろうか。 あたしとイツキは、しばらくの間じっとお互いの目を見つめ合った。 長い長い沈黙の後―― 「…………ちっ。随分クサイ女になっちまったな、お前」 あたしから視線を逸らし、諦めたような声でイツキは言った。 どこか淋しげな横顔―― 「んなつまんねー女にゃもう用はねぇよ。一発殴れたらって約束だしな。どこにでも行っちまえ」 あたし達にくるっと背を向ける。 「お似合いだよお前ら。勝手に青春してろ」 「イツキ!」 「……もうお前は仲間じゃねぇ比奈。俺たちとつるむのはやめとけ」 違う。やだよそんなお別れ。 追いかけたいけど背中が「来るな」と語っていた。強い拒絶の前に足が竦む。 だけど。 「あ、あの、待ってくれるかな、イツキ君!」 そんなのものともしない小宮がその背中に声をかけた。 「んだよ! てめぇに君付けされたくねぇよ気持ちワリぃ!」 思わず反応して振り返るイツキの顔は完全に意表を突かれた顔だ。 すっ、すごいよ小宮っ! さすが天然っ! 小宮は自分でも場違いを自覚してるのか、少し恥ずかしそうに、でも真摯な瞳で言った。 「あ、ごめん。でも、その……僕が勝手に思ってるだけだけど……。僕らの間に、垣根はないから。僕はみんな仲間だと思ってるよ。……君も、比奈さんも。同じ高校生って仲間だって」 「――っ。寒いセリフ言ってんじゃねぇっ! 勝手に仲間にすんなっ!」 怒鳴って返すイツキだけど微かに頬がひくついてる。もしかしてちょっと照れてる? あはは。なんだか可笑しくなってくる。 でも続く小宮の言葉は―― 「だから、僕も、比奈さんも遠慮はしないよ」 あたしをハッとさせた。 そうだよ。あたしも、遠慮なんかしたくない。 「その気になれば、誰とでも友達になれるって、僕は思ってる」 「だぁぁ〜〜さぶいっ! どこまでもキモイ奴だなてめぇはっ!」 さすがのあたしも苦笑しちゃう小宮の言葉にぶるっと肩を震わせて怒鳴るイツキ。 あはは。本当に鳥肌立ってそう。 うん、小宮ってこういう奴なんだよ、イツキ。 あたしも負けてらんない。言いたいことは言っとかなきゃ! 「イツキッ! また、クラブに行くから! またみんなで一緒に遊ぼ?」 「はぁ? お前にゃソイツがいんだろ?」 眉をひそめるイツキににこっと笑って、 「うん。でも友達は友達だから!」 イツキは一瞬なんともいえない表情になった。 それからふいっと前に向き直る。 「……バーカ。来ても遊んでやんねーぞ」 ボソッと呟いた答えはぶっきらぼうだけどあったかくて。それはいつものイツキの口調だった。 胸がじんわりして泣きたい気分になる。 それ以上は何も言わずに歩き出すイツキ。その背中を笑顔で見送る。 悪いけどイツキ。あたし、友達やめるつもりはないから。 またみんなでバカやってはしゃごう。淋しいなんて、感じる暇もないくらいに。 無言の後ろ姿は人ゴミの中に紛れ、すぐに消えてしまった。 それでもまだ余韻に浸っていたかったけど。 「比奈さん……僕らめちゃくちゃ目立ってるかも……」 小宮に言われてハッと辺りを見回すと、遠巻きに見守る野次馬の人だかりがちらほら……。 そういえばここ、往来のど真ん中だったぁぁ〜〜っ!! 「うひゃっ! に、逃げるよ小宮っ!」 大慌てで小宮の手を取り、一目散にその場を退散する。 「僕ら制服のままでこんな所にいて、お巡りさんに見つかったら補導されるんじゃないかなぁ?」 「それもあったぁぁっ!」 走る足は更にスピードアップした。 雑踏を掻き分け、ネオンから遠ざかり。細い裏道に入って人通りの少ない場所に向かう。 大きな川の河川敷にまで来てようやく足を緩めた。 「はぁ、はぁ……。ここなら大丈夫かな? あー恥ずかしかったぁ〜」 土手に入って真ん中に座り込む。柔らかい草の絨毯にホッとした。 「結構スリルあったね。実は後つけてる時にさ、警官が巡回してるの見かけたからちょっとマズイかな〜って思ってたんだ」 「いいっ!? そういうコトは早く言ってよ小宮ぁ〜」 まったく度胸があるんだかないんだか……って。 そ、そういえば………………。 チラッと横目に小宮を見る。 「さっきのあたしとイツキの会話、もしかして……聞こえてた?」 「えっ!? えーっと……」 あたしの質問の意味を察した小宮が瞬時に頬を赤らめる。 それってもう肯定したのと同じじゃん! うきゃぁぁぁぁっ!! 原っぱをごろごろと転げ回りたくなった。 でもさすがにそれはできない。代わりにうずくまって膝に顔を埋めた。 「あ・あたしもうどんだけマヌケ……。ダメだぁ〜〜っ。もう一生分の恥さらしたよぅ。穴があったら入りたい……」 しくしくしく。せっかく少女漫画読んで告白シーンの研究したのに、なんの役にも立たなかったよ。 今更小宮に同じこと二度も言えないっ。 「あ、あの、僕、嬉しかったから。ちょっとびっくりしたけど」 フォローなのかあたふたとあたしの前に屈みこんで言う小宮。 いきなりキレて、勝手にサヨナラ言って、別の男とホテル行こうとして突然コクってんだから、そりゃびっくり大集合だよね。今日のあたしってなんなの一体。 でも全部小宮を好きゆえの行動で……。好き、ってオソロシイ。自分がピエロになった気分。 この先どう言葉を続ければいいのやら。 膝からちょっとだけ顔を上げ、おずおずと小宮を見上げた。 「えっと……そーゆーワケなんだけど……こ、小宮は、どうなのかな? あたしと……付き合ったりとかする気はあるのかな?」 告白はもう終わったことにしちゃってるけど。ごめん小宮。 でもね。これでも結構勇気出して訊いてるんだよ? 「もちろん。僕は最初から比奈さんとお付き合いがしたかったんだから」 半分予想通り、いつものはにかみ笑顔で小宮は言う。 それは素直に嬉しいんだけど、でも……。 「本当にあたしでいいの? もっと純で可愛い女の子いっぱいいるのに。それにあたし、もう他の人とエッチはしないけど、これからもクラブとか行くし、多分ずっと遊び人って噂消えないよ?」 さっきイツキにも言ったけど。クラブの友達とはまた一緒に騒ぎたいんだ。 だってみんな大事な仲間なんだ。みんながみんな、何かを抱えて身を寄せ合った、ほっとけない傷だらけの仲間達。 小宮はあたしが遊び人のままでも平気なんだろうか? 「いいよ。周りがなんと言おうと、僕は本当の比奈さんを知ってるから。……それにね、比奈さんは自分じゃ分からないんだろうけど……とっても強くて……純粋で、可愛い女の子だよ」 相変わらず小宮は優しい瞳で迷わず答える。 聞いてるこっちが恥ずかしいよっ。頬が熱くてたまらない。 「そ、そういうセリフはスラスラ言えちゃうんだよね、小宮って」 なんで女の子触るの苦手なくせにそんな歯の浮くセリフは言えちゃうかなぁ? 思わず泳ぐ目をもう一度しっかり小宮に当てる。 これが最後の確認だとばかりにキッと小宮を睨んで言った。 「言っとくけどあたし、しつこいよ? 一度手をとったらがっしって掴んでもう二度と放さないよ?」 「うん、僕も放さない」 「離れたりしたらダメだからねっ!」 「うん、絶対離れない」 「ず、ずっと……ずっと傍にいるんだよっ!」 「いるよ。ずっと傍にいる」 その答えは真っ直ぐな瞳と共に返ってきてあたしの不安を拭い去る。 同時にあたしの手を包み込む暖かい手。 あったかい―― 甘酸っぱさと嬉しさがこみ上げてきて、不意に涙が浮かんだ。 「僕が比奈さんの傍にいたいんだ。ずっと繋がっていたいんだ。……君が好きだから」 さわりと夜風が吹き抜け、小宮の髪を揺らす。 優しい微笑み。 暖かい眼差し。 あたしの心にサクランボをくれる人―― ねぇママ。もう心配しないで。 大丈夫。きっともう淋しくない。一人きりの夜も寒いなんて感じない。 この手はずっと繋がってるって信じていられるんだ―― だって、それが小宮なんだもん! 「あたしも小宮が好きっ。大好きっ!」 胸が溢れて、キスしたくて、小宮に抱きついた。 でも勢いあまって小宮のメガネにごっつんこ。 「いっ!」「アタッ!」 もちろん唇には届かず互いの顔は跳ね返る。ズキズキする眉間を押さえながらうずくまった。 こ、この場面でこれって……あり得なすぎる。 「あ、あたしもう生まれなおした方がいいかも……」 せっかく熱いキスを交わす場面だったのに、思いっきり雰囲気ぶち壊しだよあたし! 小宮を見てみれば「くっ」とか肩を震わせて笑ってるしぃ〜〜〜〜っ! 「あはっ、あはははっ! や、やっぱ比奈さんには敵わないやっ!」 「笑いすぎだこらぁ〜〜っ!」 恥ずかしさのあまり首を絞めちゃろかと小宮の襟首に掴みかかった。 でも熱い手にぎゅっと上から握られて。 はっと見上げた瞬間、小宮の顔が迫ってきて―――― 意識が、空を飛んだ。 ええっ!? 唇に感じる温かい感触。これは…… ま、まさか。小宮から小宮から。小宮からキ――――ッ!? びっくりして固まるあたしをよそに、優しく唇を重ねてくる小宮。 甘い痺れが全身を走り抜ける。体から力が抜けていく。 またピンクのふわふわがあたしを包んで世界がピンク色に染まってく。 うわっ、うわっ。サクランボが頭の中を躍ってる! ズルイ、小宮。反則だよコレ―― 「あ、あたしを抱けないとか言っといて。いきなりキスとかできちゃうワケ?」 小さく抗議しながら、くたっと小宮の胸にもたれかかる。負けてるよカンペキに。 「これが僕の限界だけどね。こうしてるだけで心臓が爆発しそうなんだ。これ以上はとてももたないよ」 あたしの肩を抱き寄せ、はにかみながら言う小宮。 なに言ってんの。それはこっちのセリフ。 キスひとつでこれだもん。エッチなんて絶対もたない。 でもね、それが嬉しいんだ―― だって、せっかくの恋だもん。 「あたしも……そうかも。ドキドキ症にかかっちゃったかも」 熱い頬を上げてみれば真っ赤な小宮の顔。 「だからさ、また手を繋ぐところから始めよ? あの屋上から始めんの」 「屋上から?」と聞き返した後、「あ」と呟く小宮。あたしはにこっと笑った。 「うん。よろしくねってお辞儀して、土曜日は初デート。噴水の前でドキドキしながら待ち合わせしてさ」 「そうだね。一緒にショッピングして、アイス食べて歩くんだよね?」 「公園のベンチに座ってもじもじしたりもね。手を繋ぎたいな、どうしよう、もじもじ、なんつって、ぷぷっ」 「それでうっかり手が触れたりしたら、慌ててベンチから転げ落ちるんだ。でもって二人揃って気絶、したりして」 ぶっ。なにそれっ! 「どっ、どんなバカップルあたし達〜〜っ!!」 堪えきれず、思いっきり噴き出した。 なに言ってんだかあたし達! お、おかしすぎるっ。 楽しくって、くすぐったくって、笑いと震えが止まらない。 頭がサクランボにやられてるっ!! もうダメだあたし。あんまりサクランボが甘すぎて―― こんなに美味しいサクランボ、 絶対どこにも売ってない。 「あっ! お店行かなきゃ! いこっ、小宮!」 「え? 僕も?」 「うん、今日新人の歓迎会だから!」 「わかった、いくよ」 その甘酸っぱさは恋の味。 たったひとつの恋の味。 「……あっ。でもその前に」 「なに? 比奈さん」 せっかく実ってくれたんだ。 「もっかい元気もらっときたいなぁ……なんて」 急いで食べたらもったいない。 「え!? ……えっと……うん」 大事に大事にしてかなきゃ。 「手、繋いでしよ♪ ほら」 「いっ! いきなりはまだっ」 いっぱいいっぱい実らせて。 「あはははっ、小宮カオまっかだよ〜?」 ゆっくりゆっくり育てていって。 「さっきのお返ししてるでしょ絶対……」 じっくりじっくり、味わっていくんだ―― 「えへへっ♪ 大好きだよ、小宮♪」 「僕もだよ、比奈さん」 このとびっきり甘いサクランボを、ネ♪ ちゅっ ★Fin☆
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