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32.手放したくないサクランボ


 

「小宮! どうしてここに!?」
 
 イツキの手が離れた隙に素早く距離を取るあたし。その前に、体勢を整えた小宮があたしを庇うように立った。
 やや息切れしてるのは渾身のタックルをかましたからなんだろう。
「ごめん比奈さん。ずっと後をつけてたんだ。様子がおかしかったし、心配で……」
 イツキを警戒し、顔は正面に向けたまま答える小宮。
「別に、比奈さんがよければ邪魔するつもりはなかったんだ。でも比奈さんが嫌がったから……」
 あんな一方的にキレてサヨナラしたあたしを心配してついてきてくれたんだ。しかも身を挺して助けてくれるなんて……。
 胸がじぃんと熱くなる。そんな場合でもないのにピンクのふわふわがあたしを包む。
 やっぱり好き。小宮が好き。
 
「ちっ。ナイト気取りかよ優等生」
 一度地面についた膝をゆっくり起こしながらイツキが吐き捨てる。
「比奈を助けにきたってか? こんな汚れモンの貞操、今更守ってやったって仕方ないだろうによ」
 耳に痛いセリフがあたしの胸を突いた。
 イツキまであたしのこと、そんな風に思ってたんだ。汚れモン……そうだよね。
 あたしなんか小宮に守ってもらう資格――
 
「やめろっ!」
 
 その時、小宮の体が弾かれたように跳んだ。暴力なんて全く無縁だった小宮の細い腕が振り上げられる。
 でもその拳はイツキの手の平にアッサリ止められ、
 
「甘いぜひょろメガネ!」
 
 ドカッ
 
 お腹を蹴り返され、後ろによろめく小宮。倒れそうになる肩をあたしが駆け寄って抱きとめる。
「無茶しなくていいよ小宮! そんなに庇ってくれなくていいから!」
 胸の痛みは一旦置いて顔を覗き込むと。
 
「比奈さんは汚れてなんかない」
 
 細い肩を支えるあたしの手に、小宮の手が重なった。
 驚きに息を止めた一瞬、僅かに振り返る小宮の瞳があたしを捉える。ドキッと鼓動が跳ね上がった。
 そしてまた小宮の視線はイツキに戻り、
 
「汚れてるとか、汚れてないとか、何を基準に言うんだ? そんなのは、見る人のただの主観だよ。今まで何人と寝たとか、僕には関係ない。比奈さんは綺麗だ」
 
 凛と響く声で語りかけてくる背中。
 
 小宮――
 
「自分の境遇を嘆いて捻くれたり、卑屈にならずに明るく生きてる。ひたむきに前を見てる。僕には眩しいくらいに純粋で、綺麗なんだよ、比奈さんは」
 
 どうしよう。唇が震える。
 
 小宮――
 
 小宮――
 
 胸がいっぱいで、視界が滲んでくる。
 
「小宮っ!」
 
 たまらずがばっとその背中に抱きついた。
 
 同情なんかじゃない。でまかせなんかじゃない。小宮はいつでも真っ直ぐだ。
 だから信じられる。だからこんなにも、小宮の言葉は嬉しいんだ。
 
 ありがと小宮。こんなあたしを綺麗って言ってくれて――――
 
「ごめんね。さっきはごめんね小宮っ」  
「大丈夫だよ。僕は周囲の目なんて気にしてないから。そのことをもっと早くに言っとくべきだったね」
 
 そう言う小宮の背中はあったかくて。誰よりも安心する。
 うん。あたし、今までのバカだった自分を反省はするけど。もう逃げたりしないよ。
 
 小宮が綺麗って言ってくれたらそれでいい。 
 それで十分――笑っていられる。自分に自信が持てる!
 
 
「ハッ。んな寒いセリフよく真顔で言えんな。女の前だからってカッコつけてんじゃねーよ。前はあんなにオドオドしてたくせによ」
 吐き捨てるように言った後、イツキの顔が嫌なカンジに笑った。
「また頬が腫れ上がるくらい殴ってやろうか? 『もう比奈さんには近付きません』って今度は本人の前で言ってみろよ」
「っ! イツキ。前に小宮を殴ったのって……」
「比奈に近付くな、っつったんだよ。真面目な優等生がダチの周りチョロチョロしてんのがムカついたからな」
 そんな理由で小宮を!? 
 いくら優等生が嫌いだからって殴っていい筈がない。
 何か言ってやろうと一歩前に踏み出した。
 だけどスッと出た小宮の手に止められる。
 
「あの時は自分に自信がなかったし、比奈さんに嘘ついてるって負い目もあったから……離れた方がいいって思ったんだ。僕がいることで比奈さんを大事にしてる友達との仲にヒビが入るのも悪いと思ったし……」
 
「そう思うんなら今すぐ比奈の前から消えろよ! 何度も言わせんな! 比奈は俺達の仲間だ! はきだめ野郎の仲間なんだよっ!」
 
 そんな。イツキ――
 
「こいつは男好きのヤリマンだ。結構じゃねぇか、それで。俺達はバカでろくでなしの集まりなんだ。それに大した理由はいらねぇ。放っといてくれりゃいいんだよ!」
 
 これがイツキの叫び――
 
「バカはバカの世界で楽しくやってんだ! 安っぽい同情で簡単に分かってもらいたくなんかねぇんだよっ!」
 
 これがイツキの叫びなんだ。知らなかった。そんなこと思ってたなんて。
 
 自分のことをろくでなしなんて、そんなの――
 
 突き刺さる言葉に圧倒されて、体が凍った。胸が痛くて、苦しくて、声もだせない。あたしは今までイツキの何を見てきたんだろう?
 
 だけど、そんな腑抜けたあたしの横で、イツキの叫びに負けない凛とした声が響いた。
 
「確かに、僕には分からないよ。幸せに生きてきた僕には、君の気持ちも、比奈さんの気持ちも本当に理解することなんてできない。……でも、だからって、世界が違うなんて、そんなことあるもんかっ!」
 
 その言葉はネオン街を突き抜け、夜の空に高く吸い込まれていった。
 
「僕らはみんな同じ高校生じゃないかっ! 同じことで泣いたり、笑ったり、傷付くじゃないか! 同情なんてしなくても友達になれる! 好きになることだってあるじゃないかっ!」
 
 小宮――
 
「勝手に垣根を作ってるのは君の方だっ! 君が一人でいじけて世界を作るのは勝手だけど、そこに比奈さんを巻き込むなっ!」
 
「――っ! うるせぇっ!」
 
 思わず息を呑んだ。
 カッとなったイツキが勢いよく踏み出し、小宮の顔面を狙って拳を突き出したのだ。危ないっ!
 
 だけどそれが小宮に当たることはなかった。
 信じらんない。小宮が……あの小宮が、身を捻りながら、イツキの拳を腕でガードしたのだ!
 
「っ!」
 
 まさかかわされるとは思ってなかったんだろう。イツキの顔が驚きに変わる。
 でもそれも一瞬のことで、すぐに気を持ち直したイツキの反対の拳が小宮の頬を打った。
 
「小宮っ!」
 
 入りは浅かったけど、イツキのパンチは強烈だ。たまらずよろめいて膝を折る小宮。
 下を向いた拍子にカランとメガネが地面に落ちた。
  
「大……丈夫……。平気だから……」
 
 慌てて顔を覗きこもうとするあたしを手で制しながら、小宮は荒く息をついた。
 そんなこと言ってもすごい汗。無茶だよ小宮……。
 
「へぇ……咄嗟に身を引くたぁ、少しはやるようになったじゃねぇか。鍛えた甲斐があったな」
 
 何が面白いのか、小宮を見下すイツキの口元がニヤリと哂う。
 
「……じゃあこういうのはどうだ? 俺を一発でも殴れたら比奈を連れて帰らせてやるよ。敢闘賞ってヤツだ」
 
 なっ――
 
 どこまでも小宮をいたぶるつもりのイツキをあたしはキッと睨みあげた。
 小宮がまだ空手始めたばかりなのを分かって言ってるんだ。ひどい。
 どうしてそこまで――
 
 まさか挑発に乗らないよね? とゆっくり身を起こす小宮に目をやると、何故か負けじと不敵な笑みを浮かべてる小宮。
 
「比奈さんはモノじゃないし…………笑えるね。そんなに悪ぶってみせてもちっとも似合ってないよ。キミも僕も、まだ高校生の……ガキ、だろ?」
 
 なっ、なに言ってんの小宮っ!?
  
「っ! バカにしてんのかてめぇっ!」
 
 怒りのあまり顔面蒼白になったイツキが小宮の胸に掴みかかる。
 あたしが止める暇もない。
 
 一発頬を殴った後、小宮の肩を掴んでお腹に膝蹴りを入れる。
 小宮がくぐもった声と共に背中を丸め、もたれかかりながらズルッと崩れ落ちるのを危険な目で見下ろすイツキ。
 
 一瞬のことだった。
 
 あたしはただ声を失って立ち尽くすことしかできなかった。
 ダメ。やだ。しっかりして小宮――
 震える足を一歩出したその時。
 
 上体を起こそうとするイツキの首がガクッと下がった。
 
「っ!?」
 
 驚きに目を見開くイツキの首はピンと張られたタイに固定されている。
 その先を掴んでるのは――
 
 
 バキッ!
 
 
 次の瞬間。
 
 真っ直ぐに突き上げた小宮の拳がイツキの顎を叩き上げた。
  
 
		
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