夏に蒔いた種が蕾をつけだした秋の花壇。 小宮は毎朝の水やりを欠かさなかったそうだ。 半分押し付けられたような花壇係だったけど、花を育てる難しさを知って。色々調べてるうちに夢中になってて。 いつのまにか、成長していく草花を見るのが毎朝毎夕の楽しみになっていた。 その日もささやかな自分の庭を観察しに、放課後、裏庭に向かったそうだ。 だけど弾んだ足は、裏庭の手前で止まってしまった―― 『んだよソレ、ひっでぇヤツだなお前』 『ヒトのコト言えっかよお前ら』 『やるコトやっといてポイ捨てサイコー!』 『そうそう、こないだもよ……』 ガラの悪そうな男子生徒達の話し声。 花壇から聞こえてくる大きな笑い混じりの会話に、小宮は思わず引き返してしまった。 だけど花壇が気になって、校舎の三階まで上がり、窓から裏庭を見下ろしてみれば―― 花壇を踏み荒らす数人の男子生徒達の姿。 衝撃のあまり、窓辺に立ったまま硬直してしまったそうだ。 「情けない話だけど、僕は彼らを止めようとか全然思いつかなくて、ただ呆然としてたんだ」 小宮は自嘲気味に笑って言った。 そんなの、誰だって怖がるのは当たり前なのに。 「彼らが去った後も、何もする気が起きなくて。ぼんやりため息をついてただけだった。そこにやってきたのが――」 あたしと麻美だった。 『あれ〜〜!? なんか酷いことになってるぅ〜〜!』 三階の窓にも届く大きな声。花壇のある裏庭から。 あまりによく響いたので、落ち込んでた小宮の耳にも入ってきた。 『えぇ〜〜っ。楽しみにしてたのにー! ちょっと麻美見てこれーっ!』 『うわぁ……これは酷いね』 花壇を見に来た女子生徒二人組。 小宮はハッと我に返って外を見た。 一人がよく通る声で残念そうにぼやいてる。 その時言った言葉が。 『もうすぐ花が咲きそうだったんだよ! 信じらんない! こないだの台風のせいだねきっと!』 「――って言ったんだよ比奈さん。どう見ても人為的な跡があるのに。僕、思わず笑っちゃって」 「そ、そんなコト言ったっけかな。小宮の聞き間違いじゃない?」 熱くなった頬をプイッと背けてあたしはとぼけてみせた。 確かに言ったような気がしなくもない。 段々思い出してきた。 「それから比奈さんは花壇に入って草の根を掘り始めたんだ。制服の裾が汚れるのも構わずに」 微かな笑みを浮かべたまま小宮は続けた。 『ちょっと。もしかしてソレ全部直す気?』 『うん、だってせっかくだから花咲くの見たいし。ここが一面の花畑になるの、楽しみにしてたんだもん』 そう言ってポニーテールの女子生徒はもう一人の女子が止めるのも聞かずに、花壇に入っていった。 小宮は随分慌てたそうだ。 『そういうのって、花壇係の仕事じゃん?』 (まったくだ。僕は何をやってるんだ) 自分を叱咤して階下に降りてみれば。 手を土まみれにした女子が顔を上げて小宮の姿を見つけた。 『あ、もしかして花壇係!?』 嬉しそうに、本当に嬉しそうに綻んだ顔。 「あの時の比奈さんの笑顔――沈んだ気持ちなんか一瞬で吹き飛んだよ」 「あ、あはは。そうなんだ。なんか照れるね」 ちょっと恥ずかしくなってきた。 つい頭に手をやっておどけてしまう。 そんなあたしの様子にフッと頬を緩める小宮。それから前を向いて、どこか遠くを見つめるように言う。 「比奈さんの笑顔はいつも僕に勇気をくれるんだ。こんな自分でも、できることがあるんじゃないかって。頑張ってみようって……」 その目がとても優しくて、嬉しそうで―― 「もぉ、言いすぎだよ小宮! そんなに褒めてもなんにも出ないからね!」 思わずプイッと顔を逸らした。 頬が熱くなってるのは気のせいってことにしとこう。 「あはは。寒いこと言ってるかな、僕? でも本当にそう思うから……ごめんごめん。そんなに嫌がらないで。……えっと、とにかく、それが初めて交わした言葉なんだ」 フォローになってるのかなってないのか。まだ目が笑ってる小宮が語るその先の会話は―― 『どうもすみません! はい、僕、花壇係です!』 とりあえず、開口一番、小宮は謝った。 『良かったぁ〜』 『後は僕が……』 『一緒に直そ?』 『え?』 後を引き受けるつもりだった小宮は驚いて下げてた頭を上げた。 明るい笑顔の女子は小宮を手招きして言うのだ。 『もう手をつけちゃったから最後までやんないと気持ち悪いじゃん。みんなでちゃちゃっとやっちゃお!』 『そんな……。悪いです』 遠慮して小宮が断ると。 『なんでぇ〜〜? だってここはみんなの花壇でしょ〜?』 その女子は周囲を見回して言った。 その時小宮は気付いた。 踏み荒らされた花壇は自分の花壇だけじゃなくて。他のクラスの花壇もいっぱい花を散らされてたのだ。 (この人は、これ全部直すつもりなんだ) そう思うと自分もじっとしてられなくなって。慌てて花壇に入って土を掘り始めた。 『すみません……。ありがとうございます』 『いいのいいの。自然災害なんだからしょうがないっしょ』 (それは違うんだけど……) でも、そんなことはもうどうでもよかった。 二人で土いじりを再開すると、イライラしながら傍に立ってたもう一人の女子生徒も、 『ハイハイ。三人でやれば更に早いわよね。あたしも手伝いますよー』 と土を掘り始めて。 その日。結局、日が暮れるまで、花壇を三人で直した。 全ての作業を終えた時にはすっかり辺りは暗くなっていて。 最後に小宮はもう一度、二人の女子に深く頭を下げた。 『本当に、ありがとうございましたっ。なんとお礼を言ったらいいか……』 『いいよいいよ。土いじり楽しかったし。たまにはこういうのもいいね!』 『あたしはもう御免だわ』 『もぉ〜麻美ったら! 麻美だって結構花好きなくせに! なんのかんの言っていつも花壇見に行くの、付き合ってるじゃん』 『……暇だから……』 微笑ましい光景に自然と頬が緩んだ。 (仲がいいんだな) 照れてそっぽを向く大人びた女子と、それを肘で小突く元気のいい女子。 互いを理解し、心から通じ合ってる。 気の置けない親友のいない小宮には少し羨ましくもあった。 と、 『あ、そうだ! お礼ならさ!』 キラキラと目を輝かせて、元気のいい女子がこちらを向いた。 『は、はい!』 声が上擦ってしまったのは力みすぎたからだ。 自分にできることなら何でもして返したい。 小宮は肩に力を入れて待ち構えた。 だけど、返ってきた言葉は予想とは違っていて。 小宮はその後しばらく放心することになったのだという。 『とびっきりの花畑を見せてね!』 満面に咲く笑顔と共に向けられた、その言葉によって。
HOME TOP BACK NEXT