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お坊っちゃまと執事のお説教


 

「まったく、聖(ひじり)さまにも困ったものだ。今日という今日は厳しく注意させていただかねば」
 
 黒い執事服の裾をなびかせながら、白石は普段以上にいかめしい顔で、廊下を颯爽と歩いていた。
 三人のメイドがその後ろを楚々とついてくる。
 やがて白石は豪奢な扉の前に着くと、中の人物に許可をもらい、恭しいお辞儀と共に広い部屋の中央まで進み出た。部屋の主に声をかける。
 
「聖さま」
 
「どうしたの? 白石」
 
 高い声が返ってきた。部屋の奥の椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた少年が振り返り、にこっと微笑んだ。
 
 歳のころは十ほど。さらりとした亜麻色の髪に愛らしい笑顔。360度、誰がどう見ても美少年と答えるであろう白石の仕えるべき主人がそこにいた。
 白石は表情を引き締めた。今日はあくまで厳然とした態度で接する心構えなのである。
 天使のようなほほえみに対し、きりっと厳しい目を少年に向ける。
 くりっとした目が白石を見つめた。
 つうっと赤いものが垂れ流れた。白石の鼻から。
 
 「…………」
 
 一瞬流れる沈黙。
 
 無言のメイドが後ろからそっとハンカチで鼻の下を拭った。
 空気がどうしようもないほどの痛々しさを孕む。
 それでも何事もなかったかのように、変わらない表情の白石は、むしろ淡々とした口調で口火を切った。
 
「聖さま。ここ最近の貴方さまの悪戯や我儘は目に余るものがあります。今日こそはきっちりと言わせていただきますよ。言い訳がおありなら伺いましょう」
 
 執事の訪問の理由を悟った少年は、途端にしゅんと表情を曇らせた。
「ごめん、白石。だって僕……」
「だってもさってもありません。何故、九官鳥を牛乳漬けにしたのですか?」
 問われて少年は、もじもじと指を絡ませた。
 
「だって……白い羽根の方が綺麗かな、って思ったんだ……」
 
 怯えた瞳がおずおずと白石を見つめる。
 黒い執事は、ふう、と重くため息をついた。
「それは傲慢というものです。羽根の色を無理矢理変えようだなどと。キミ、白い九官鳥の捜索を頼む。なければただちに開発させるように」
 言葉の途中で、くるりと右のメイドを振り返って指示をだす。
 メイドは一礼して部屋を出て行った。
 再び少年に向き直り、白石は厳しい顔を崩さずに続けた。
「まだありますよ。どうして昼食のパスタをきちんと食べなかったのですか?」
 問われて少年は、もごもごと口を動かした。
 
「だって……ミートソースでお口が汚れちゃうかな、って思ったんだ……」
 
 細い指がふっくらとした唇に当てられる。
 黒い執事は、呆れたように首を振った。
「嘆かわしい。口が汚れるのは当たり前です。そんなのは言い訳にもなりません。キミ、今すぐコックをクビにしてきてくれ。二度とミートソースは出させんようにな」
 言葉の途中で、くるりと左のメイドを振り返って指示をだす。
 メイドは一礼して部屋を出て行った。
 再び少年に向き直り、白石はあくまで厳しい顔を崩さずに続けた。
「まだありますよ。どうしてお勉強をさぼったのですか? わざわざ講師の方が来てくださっているというのに」
 問われて少年は、もじもじと恥ずかしそうに艶のある長い睫毛を伏せた。
 
「だって……あの先生、僕といるとき、なんだか息が荒いんだ……」
 
 あどけなさの残る頬がぽっと桜色に染まる。
 黒い執事は、重い息をつきながら如何ともしがたいとばかりに両手を腰にあてた。
「何を馬鹿なことを。先生がおかしな気を起こすはずはありません。おい、講師を網走送りにしろ。監獄から生きては出すな。絶対にな」
 言葉の途中で、くるりと背後のメイドを振り返って、どす黒いオーラが立ち昇るほどの殺気をみなぎらせながら指示をだす。
 メイドは一礼して部屋を出て行った。
 再び少年に向き直り、修復しようのない空気を強引に戻すがごとく表情を引き締めなおした白石は、ちらりと壁に飾ってある額縁を見て言った。
「あと、ここに飾ってあった絵はどうしたのです? 何故へのへのもへじの絵に変わっているのですか?」
 白石の言う通りだった。額縁の中の、時価数千万はするはずだった名画は、子供のらくがきに取って代わられていた。
「値段の問題ではありません。あれは、聖さまがねだられたから、旦那さまが買ってくださったお誕生日プレゼントでしょう? 無下に扱っては旦那さまが悲しまれますよ」
 白石が厳しくたしなめると、少年は表情を翳らせ、憂いを含んだ瞳を床に落とした。
「だって……僕、聞いちゃったんだ。僕は母さまの子じゃないって。妾の子だって」
「なっ……! そんなこと、誰が言ったのですか?」
 驚きに、厳しい表情を崩した白石は、少年の前まで詰め寄り、跪いて訊いた。
「こないだパーティで会った親戚の人。だから僕にはこの家を継ぐ資格はないんだって。それで僕、悲しくなって絵を捨てちゃったんだ」
「なんて馬鹿なことを! そんなのは真っ赤な嘘です! 聖さまは正真正銘、奥さまと旦那さまの血を分けた正当な跡取りです!」
 立ち上がり、憤慨する白石の拳は血の色を失い、相当な怒りを表していた。
「本当に……?」
「本当です! なんならDNA鑑定もいたしますよ? まったく、純粋な聖さまになんてことを!」
 ぎりっと奥歯を噛みしめる。
 白石の言葉を飲み込んだ少年は、徐々に顔色をなくし、小さく震え始めた。
「そうなの……? 僕の勘違いだったの? ああ、どうしよう。あの絵、もう持っていかれちゃったんだ」
 弾かれたように立ち上がり、がばっと白石の足元に抱きつく少年。
 白石は石像のように固まった。白目を剥いた昇天寸前の顔で。
「白石……。どうしよう……父さまからもらった大事な絵が……」
 きらきらと潤んだ瞳が白石を見つめた。目尻をうっすらと赤らめて。真下から見上げるバキューンな角度で。
 
「ひ、ひじりさぶほぉっ!」
 
 さっと少年は身をかわした。
 白石の鼻から放出されたおびただしい量の血は一滴も浴びずに、窓際に寄る。
 窓の外、遠くに立ち昇る、ゴミ処理場の煙を見やって呟いた。
 
「ああ……僕の絵が燃えちゃう……」
 
 その瞬間、白石は空を飛んだ。 
 
「ぬおおぉぉぉぉっ!!」
 
 窓を突き破り、十数メートルの高さをものともせず転げるように着地。色んな意味で常人ならぬ執事はすぐさま身を起こし、頭に刺さったガラスもそのままに、猛然と煙の方向にダッシュする。
 
「聖さまのためならこの白石、たとえ火のなか水のなかぁぁぁっ!!」
 
 血の滲むような雄叫びが、土煙と共に遠のき、やがて消えていった。
 後に残されたのは、割れた窓ガラスと、うすら寒いほどの静寂と、天使のように愛らしい少年の無邪気な笑顔――
 
「あー面白かった♪」
 
		
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