会社帰り、渡部は今日も足を止めた。 ここ数日同じ場所で何度も立ち止まっていてる。 通りかかるたびにどうしても気になってしまうのだ。 それは駅前通りのアーケードの中。なんの変哲もない小さなお惣菜屋。色褪せた看板がどこか懐かしい、庶民感漂うお惣菜屋でのことである。 トレイに所狭しと並べられたおかずのひとつにコロッケがあった。 キツネ色の衣に小判型の、どこにでもありそうなコロッケが、なんとも食欲をそそる揚げたての香りを放っていた。 売り子のお婆さんが客の匂いに気づき、黄色い歯を見せて笑顔を作った。 「いらっしゃいよ」 渡部はどうしようかしばらく迷った。もう十分確認したはずなのに、やはり気にかかる。 結局、今日も探究心が勝ったようだ。しかめっ面をコロッケから離して注文した。 「じゃがいもコロッケをひとつ」 「はいよ」 人情味豊かなからっとした喋りのお婆さんは、トングでコロッケを一つ掴んで紙に包んだ。それをさらにビニール袋に入れようとしたところで渡部が遮るように言った。 「あ、すぐ食べるからそのままでいいよ」 商品ケース越しに手渡され、あつあつのコロッケを受け取る。早速ひとくちがぶりと行く。口の中に香ばしい衣の味が広がった。イモとひき肉、玉ねぎが作る味の調和はほのかに甘みがあり、これぞまさにコロッケという素朴な味わいを醸し出していた。 しばし衣の食感を楽しみ、舌で転がすようにイモの味を噛みしめる。 うむ、美味い。 美味いは美味いのだが……。 首を捻ってひとりごちる。 うーん、やっぱり普通のコロッケだな。 結局、渡部の三度目の感想も同じものだった。 そのコロッケがふと目に止まったのは、二週間ほど前のことである。 『じゃがいもコロッケ 1個 80円』 黄色い紙に赤いマジックで書かれた商品札がガラスケースに貼られていた。 惣菜をあまり利用することがなかったので、通勤路として毎日通る道にありながらそれまで気付かなかった。 じゃがいもコロッケ? 普通コロッケはじゃがいもだろう? ふとした違和感に思わず立ち止まった。 コロッケといえば、主素材がじゃがいもなのは、日本全国共通の認識のはずだ。 その証拠に、かぼちゃで作ったものは「かぼちゃコロッケ」、菜の花が入っていれば「菜の花コロッケ」、じゃがいも以外の素材は、それを強調するために商品名に記される。じゃがいものコロッケは「コロッケ」のみで表示され、じゃがいもは暗に省略されているのが普通だ。 なのにわざわざ「じゃがいも」を強調するという事は、これは一風変わった作り方のコロッケなのではないか? 一度気になると確認せずにはいられない。渡部は早速そのコロッケを買って食べた。 その感想は先ほど述べたとおり、どこにでもあるような普通のコロッケだったというわけだ。 渡部は難しい顔をして、歯形のついたコロッケを睨みつけた。 道行く人の中にはそんな中年男を訝しげにちらちら見る者もいた。 食べかけのコロッケを睨む男のしかめっ面と、それを見守る売り子のお婆さんのにこにこ顔が対照的で、それは確かに奇妙な構図に見えた。 俺は細かいことを気にしすぎるんだろうな。 三度目の味を噛み下しながら渡部は自嘲した。 人が軽く流すような小さなことでも自分には大きな疑問となる。目につくと頭から離れず、とことん追求してみたくなる。ことを大袈裟に考えすぎなのだろう、自分は。 この『じゃがいもコロッケ』も大した問題ではないのだ。その証拠に通りを行く人の誰も気にとめてないではないか。店の人の認識がちょっと違ってただけで、特に意味はないことなのだと、とっくにそう結論を出したはずなのに。 なのにやっぱり気になって、こうして三たび口にしているとはなんたることか。こんなどうでもいいことを、やっぱりなにか特別な素材が入ってるんではなかろうか、作り方に秘密があるのではなかろうか、そんな風に勘ぐって、一人で謎を深めようとするとは、どこまで自分はこだわり屋なのだ。 最後のひとくちまで食べつくし、渡部はもう一度『じゃがいもコロッケ』の札を見た。 まったく。こんなことを気にするのは自分くらいのものだろうな。 肩をすくめてひとりごちる渡部の顔は、しかし知らずと頬が緩んでいた。 視線に気付き、顔を上げると売り子のお婆さんと目が合った。気恥ずかしさに笑おうとして、失敗したようなひきつり顔を作ってしまう。変な客だと思われただろうか。 「お婆さん、なんでこれは、じゃがいもコロッケってつけてるんですか?」 気まずい空気のごまかし半分、興味半分でとうとう疑問を口にした。どうせ意味はないと言われるだろうと、さして答えに期待してはいなかったが。 するとお婆さんは口の端を上げ、意味深に渡部の目を覗き込んだ。にこにこ顔からにんまり顔への変貌に、渡部は僅かにたじろいだ。 「こう書くと、気になって買ってく人が結構いるんだよ」 なんだって? その瞬間、渡部は固まった。 あんぐりと口を開け、思考が流れ出すまでのしばしの間石像と化した。 厨房の揚げ物の音が、白けた空間を跨いで散っていく。 学校帰りの学生達が、乾いた笑い声をたてながら、渡部の後ろを通り過ぎていく。 なんだ、そうだったのか。 肩と首が力なく垂れ下がった。 してやられたという敗北感を感じないわけではないのだが。 思考が止まるほどにショックを受けたのは、それとは別のことだった。 何かがすとんと抜け落ちた。頭を小突かれたような気分になった。 なんだ。こんなことを気にする人間は、自分以外にも結構いるのか。 なんだか莫迦莫迦しくなった。お婆さんは黄色い歯を見せ、したり顔で渡部を見やる。 その顔を見てると、急に可笑しくなってきて、渡部は苦笑を浮かべて言った。 「じゃがいもコロッケ、もうひとつ貰うよ」 まいどあり、とさらに笑みを深くして、お婆さんがコロッケを袋に詰める。 その商売根性に感服だ。 なんだか全てを見透かされてるようで、負けを認めるのは少々癪だけど。
HOME TOP