背中に当たる冷たい床の感触。 それとは対照的な上からの熱い眼差し。 とんだ温度差に意識が混乱しかけた。なにこれ。何が起こってんの? 小宮があたしの上に覆いかぶさってる! でもすぐにそれは実感を伴って頭に染み込んできた。 小宮があたしを抱こうとしてくれてる―― 「比奈さん、ホントに僕でいいの……?」 間近にある長い睫毛が震える。潤んだ瞳があたしを見つめる。 いいも悪いも……。 「あたしが誘ったんだからいいに決まってるじゃん」 当然とばかりにあたしは答えた。どうしてそんなコト訊くんだか。小宮ってば律儀すぎ。 「あったかくて気持ちいいもん、小宮。ずっとこうしてたいよ?」 にこっと笑って言うとますます赤くなる小宮の顔。それからぎゅっと抱きしめられた。 「僕も、ずっとこうしてたい……」 火がついたみたいにかぁっと体が熱くなった。 それホント、小宮!? どうしよう。嬉しくてなんかムズムズする。たまらずぎゅっと小宮を抱き返す。 すると伝わってくる心臓の音――どくっどくっどくっ。 すごい速さ。でもあたしも同じだ。 どくどく。どくどく。 もっと感じていたい。 小宮の音と温度に、もっと包まれていたい。 ――なんだろう、この気持ち。 小宮が欲しい。でも言葉にすると何かが違う。うまく言えないけど違う。 今まで何人もとエッチしてきた。自分から求めたこともあった。 抱かれる夜はなんだかホッとして―― 楽しくて気持ちよくて、あったかくて――だからそれだけでいいと思ってた。 温もりをくれるのは誰でもいいと思ってたんだ。 なのに。 小宮の温もりは…………どこか特別。 他の誰よりもずっとずっと気持ちいい。 心の底からポカポカして、ふわふわするような気持ちよさ。その中にあるくすぐったさと甘酸っぱさ。 サクランボを食べたみたいな甘酸っぱさが、あたしを包んでくれるんだ。 このふわふわは、何なのかな―― 「好きに抱いていいんだよ小宮。もうあたしに触るの平気なんでしょ?」 「別の意味で平気じゃないけど……。あんなに触れるのが怖かったのに……嘘みたいだ」 身を起こしてあたしを見つめる小宮。 「今は……もっと比奈さんにさわっていたいんだ」 どくん、と心臓が脈打った。 またあたしの首に顔を沈める小宮。首筋にかかる熱い息がぞくぞくっと背中を震わせる。 「と……特訓した甲斐あったね」 おどけて言ってみせた次の瞬間、体に電流が走りぬけて息を呑んだ。いきなり首筋にキス! 「やっ――!」 思わず反らした背中の下に腕が回され、強く抱き締められる。 キスは首筋から鎖骨に移動して、たまらず「ひゃんっ」と声が漏れる。 更に移動を続ける小宮の唇。時々ペロリとされるのは、以前あたしがやったことの見よう見まねに違いない。 「ん……あっ――あっ!」 今ならあの時、どんだけ小宮が恥ずかしかったかが分かる。 小宮にコレやられると、くすぐったくって仕方ない。声もついつい大きくなる。 身をよじって耐えてたら、柔らかいキスは胸元にまで下りてきた。 太股には熱いアレの感触―――― 頭がじんじん痺れてくる。 「比奈さん……比奈さん……」 「あっ、小宮っ。こみやぁっ」 熱に浮かされたように小宮の名を呼んだ次の瞬間。 ひゃっ! 大きな刺激に肩が跳ねた。 やっ。熱いっ! 胸の谷間にキスを落とされる。 それと同時にそっと胸を包み込む手。レースの上から恐る恐る触れてくる。 甘い痺れが全身を走り抜けた。 「んっ――!」 だめっ、気持ち良すぎる! なんか体がもたないよ。 気持ち良すぎて怖いくらい。ぶるっと体の芯が震えてくる。 本当に、エッチしようとしてるんだ、あたし達―― 小宮とエッチ、するんだ―――― その時、ぼーっと霞がかった頭の隅っこで、ふと何かが囁いた。 ――――しても、いいのかな? 「っ!?」 なに、いまの。 すっと頭が冷める。 いいに決まってるじゃん。 エッチするのが約束だったし。あたし、ずっとしたかったし。 ここでしとかないと、もう小宮と―― 小宮と―――― ――――本当にエッチがしたいのかな、あたし? って、なに考えてんの! したいに決まってるじゃん! あたしが欲しいのは体の温もりなの! エッチで繋がれば体も心も満たされるじゃん。あたしはそれだけでいい。 小宮が欲しいの。今だけでも欲しいの。 ずっと傍にいてなんて望まない。男の人はいつか離れてく。 お父さんでさえ、離れていった。あたしを置いて―― だから一晩でもいいの。これっきりの仲になっても―――― ひいてしまった体の熱を取り戻そうと小宮の背中を抱きしめた。 あたしの胸に顔をうずめる小宮。ふと気付く。動きが止まってる――? 「どうしたの、小宮……?」 不安になって訊くと、小宮の顔が上げられた。 苦しそうに寄せられた眉。憂いを含んだ長い睫毛。 それからぎゅっと結ばれた唇が開いた。 「ダメだ…………。やっぱりできないよ」 な―――― 「なんで……?」 声が震えた。 「ごめん比奈さん。僕が最初に言ったこと、取り消すよ」 目の前が真っ暗になる。 「あれは僕が本当に言いたかったことじゃないんだ。なんとか比奈さんの足を止めたくて、咄嗟に出た言葉なんだ。今までずっと騙しててごめん……」 「なんで今更……」 涙が滲んだ。心臓がぎゅっと絞られたみたいに苦しい。 「勇気がなくて、今まで言えなかったんだ。でも、もうこれ以上黙ってるなんてできない。僕には比奈さんを抱くことはできないから……」 「なんでできないのっ!?」 頭にカッと血が昇った。身を起こして小宮の胸を力一杯叩く。 その途端、心の奥にあった不安が、もやもやが、一斉に噴き出した。 「ウソでも最後まで突き通せばいいじゃんっ! そんなにあたしとするのがイヤなの!? ホントはあたしのコト嫌いなんでしょっ!?」 勝手に口が叫ぶ。もう止まらない。 言葉と一緒に、涙がポタポタと零れた。 小宮は最初からあたしとエッチする気なんてなかったんだ。そんなのとっくに気付いてた。 気付いてたけど、知りたくなかった。小宮の気持ち。 小宮はあたしのことなんて。あたしのことなんて―― 「ちがっ――」 「あたしのコト、からかって、バカにしてたの!? ホントにバカだもんね、あたし! こんなコトまでしてバッカみたい!」 「違うんだ比奈さ」 「そんなにあたしが嫌いなら出てってよっ! あたしだって、小宮のことなんか、小宮のことなんか――」 その時、強く肩を掴まれた。 払いのけようとした瞬間。 「好きなんだっ!!」 時間が、止まった。 「――え?」 なに? ポカンと小宮の顔を見上げる。視界に飛び込んできた瞳は真剣そのもので。真っ直ぐあたしを見つめてる。 「君が好きなんだ! ずっと好きだったんだ! あんなの咄嗟に出た口実で、僕はただ、君の傍にいれたら……君の笑顔が近くで見れたらいいな、って――――本当に、それだけだったんだ!」 何を言ってるのかよく分からない。頭が真っ白になって言葉が出てこない。 「ごめん。まるで体目当てみたいなコト言っちゃって……ずっと後悔してた……。女の子に触ることもできないくせに、比奈さんを嘘で振り回して…………何度ももうやめようって思ったんだ。謝って、比奈さんの前から消えようって」 辛そうに目を伏せる小宮。 「だけどどうしても勇気が出せなくて――こんな繋がりでもなくしたくなかった。君の傍にいたかったんだ!」 また真摯な瞳を向けられ、あたしはびくっと肩を震わせた。 えっと。何を言ってるのかな、小宮は。 あたしの傍にいたかったって。あたしを好きって―― スキってつまりキライの反対で、小宮があたしをスキってことは―― スキってことは? 小宮が? あたしを? スキって。え。え。え。 えええええええええええっ!? 「こ、小宮が、あたしをスキ? ドッキリじゃなくて? ホントに? あたしを、すき、すきって」 隙をつくとか鋤で突付くとか。そういうのじゃないよね? あははは。スキってどう書くんだったっけ。てゆーかコンランしてる、あたし? 「ご、ごめんっ。突然変なこと言って! よ、要は謝りたかっただけで。告白とか、そんな場面じゃないよね!」 言い切った後に恥ずかしくなってきたのか、カーッと赤くなる小宮。 えっと。今どんな場面なんだっけ? さっきまでナニ話してたんだっけ? あたし、泣いてたんじゃなかったっけ? 「こ、こんなこと、いきなり言われても迷惑だよねっ。だからどうしたって感じだよねっ! ごめん、比奈さん。告白は忘れていいから! 比奈さんが特定の人と付き合う気はないって知ってるから僕っ!」 勢いよく立ち上がってあたしから離れていく体。 あは。あははは。どっかで聞いたようなセリフじゃない、それ? またおんなじテンパり方してるよ小宮。あはは。 「ホントにごめんね!」 バタバタと服を掴んで走り去ってく音がする。背後でドアが閉まる。 追いかけたいけど、体が動かなかった。 完全に力が抜けちゃって、ぺたんと座り込んだままボーッと宙を見つめてた。 小宮があたしを……。信じらんない。だって、抱けないって……。 夢かな? 夢なのかなこれ? 胸の痛みとか、苦しかったこととか、全部どっかに吹っ飛んじゃって。 頬が熱くてたまらない。 頭にはピンクの靄がかかってる。 体はふわふわ。雲の上を漂ってるみたいな浮遊感。 ふわふわ。ふわふわ。ふわふわ。 なんだろこれ。 どうしたのあたし。どうしちゃったのあたし。なんだかおかしい。 まったく力が入らない。 サクランボの山でも食べたみたいな。 痺れるような甘酸っぱさがあとからあとから湧いてくる。 『好きなんだ!』 頭にこびりつく小宮の顔。リフレインする声。 またカーッと胸が熱くなる。 なにこれ。世界中がピンク色だ。 どこもかしこもピンク色だ。 漂うピンクのふわふわの中、サクランボが辺り一面、揺れていた。
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