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25.心地良い温もりに包まれて


 

 ママが店の経営を始めたのはあたしが小学生の時。
 色々な事情があって店を立ち上げることにしたらしい。
 ママのホステス時代の知人さん達がやってきて。色々と話し合って。
 細々ながらも、この店はスタートした。
 
 軌道に乗るまではホントに大変そうで。毎日忙しそうで。
 疲れた顔もよくしてたけど、決して弱音を吐かず、いつも周りに気を遣って。
 あたしとの時間もできるだけ大切にしてくれた。本当に自慢のママ。
 
 
「……でね、ぬいぐるみが破けちゃってね。自分で直そうと思って、裁縫道具を探してコッソリ店をうろついたの。そしたらキャストのおねーさんに見つかってね。あ、キャストってキャバ嬢のことなんだけど。で、怒られるー! って思ったら、休憩室に連れてってくれて。ぬいぐるみ直してくれてさ」
 
 小宮にこの店での思い出話を語って聞かせる。
 小宮は楽しそうに聞いてくれる。
 なんだか少しくすぐったい、優しい時間。
 
 子供の頃の自分が、すぐそこで飛び跳ねてる気がした。
 
 店の人曰く、いつも元気だったあたし。
 ケラケラよく笑って店で過ごすのが楽しそうだったとか。
 言われてみれば、この店での思い出は、どれも楽しい笑いに溢れてる。
 それは店の人がみんないい人達ばかりだったからだ。
 
「ウチのキャストさんは結構古株さん多いんだよ。もう八年も勤めてる人もいんの! そろそろ引退かなーって言ってたけど……。でも、人を楽しませる仕事はずっと続けていきたいんだって。スナックのママとかになるかも」
 
「そっか……店の人はもう家族同然なんだね。この店は比奈さんの第二の家なんだ?」
「うん、ウチよりこっちの方が家っぽいかも。ウチでは一人のことが多いから」
 笑いながら小宮に顔を向ける。だけど小宮の顔からは笑みが消えてしまった。
 
「一人……なんだ。お父さんはもしかして……」
「あたしが小さい頃出てったの。性格が合わなかったんだって」
 微かに目を見開く小宮。
 やだな。そんなに珍しいことじゃないと思うけど。
「ごめん……嫌なこと思い出させちゃったね」
「別に嫌なことじゃないよ。覚えてないし。やだなー小宮、そんな顔しないでよ。お父さんがいなくても全然平気で生きてこれたし、むしろ楽しいコトいっぱいあったよ? キャバ嬢に遊んでもらえるなんて、滅多にない環境っしょ?」
「うん……そうだけど……。やっぱり、淋しく思うことがあったんじゃないの?」
 言われてふと頭をよぎったのは、小さい頃、嫌いだった夜の部屋。冷たくて真っ暗な自分の部屋だった。
 でも気付けばいつも朝になってたし、朝はいつのまにか帰ってたママがキッチンに立ってお味噌汁を作ってたし。
 ほとんど徹夜状態なのに、ママは毎朝ご飯を作ってくれたんだ。
 
「確かに、ママが仕事に行っちゃう夜は、家に一人だから淋しかったかな。でもお父さんが欲しいなんて思ったことないなー。そのうち友達もいっぱいできて淋しくなくなったし。友達の家で一晩中ドンチャンしたり、毎日賑やかに暮らしてるよ」
 
 そしていつのまにか夜が嫌いじゃなくなってた。友達と遊べる夜は、楽しみにさえなっていた。
 
「誰かと一緒に寝るとあったかくて気持ちいいんだよ。小宮にもこの気持ちよさが早く分かるといいのにね」
 にこっと笑って言うと、小宮は不思議な顔であたしを見つめ返した。
「比奈さん……君は……」
「ん?」
 訊き返すけど、喉が詰まったように黙り込む小宮。
 その顔は言葉にならない気持ちが溢れてる顔で。あたしのよく知ってる誰かと重なった。
 
 誰? 
 
 こんな感じの顔、誰かがよくしてた。
 悲しげに見つめる瞳。何かを語りかけようとする光。切なそうで、でも優しい表情――
 
 ああ――――ママだ。
 
 ママが時々あたしに向ける顔。あの顔に似てるんだ――――
 
「僕は……比奈さんの気持ちが分かる、なんて偉そうなことは言えない。僕には父さんも母さんも、兄弟もいるから……でも。比奈さんがいつも笑顔の理由はなんとなく分かる。人の温もりを欲しがる理由も……」
 
 言いながら、真摯に見つめてくる小宮。その瞳の光は何かに似てる。
 
「比奈さんは我慢しすぎだよ。もっと泣いて、正直に言ってもいいと思うんだ。お母さんに言えない時は友達にでも。……僕にでも。僕でよければ、どこからでも駆けつけるから……、だから」
 
 そっと肩に置かれる手。
 
 
 
「……淋しい時は、淋しいって言って欲しいんだ」
 
 
 
 ―― ここにおいで。淋しかったらここにおいで ――
  
 
 
 あれは――――――ネオンの光。
 
 
 
 あはは。笑っとけ、あたし。 
 なに言っちゃってんの小宮。あたしはもう淋しくなんかないもん。
 ママがいて、いっぱい友達がいて、この店の人もみんな優しくて――
 
 淋しいなんてあるわけないじゃん。
 淋しいなんて言ったらバチが当たるよ。こんなに恵まれてるのに、あたし。
 
 そう思うのに、何故か視界が潤んできて。
 気付けばあたしは小宮にしがみついていた。
 
 なんでだろう。
 
 この涙はなんなんだろう。
 
 どうしてあたしは泣いてるんだろう。
 
 
 どうしてこんなに――――胸が苦しいんだろう。
 
 
 
 ――ママ。泣かないでママ――
 
 
 
『ごめんね比奈……淋しい思いさせてごめんね』
 
『やだな〜。別に淋しくなんかないよママ』
 
 だからそんな顔しないで。大丈夫。あたし笑ってるでしょ、ママ?
 
 遊んでくれる友達いっぱいいるし。
 みんな面白くて優しいし。
 部屋にはぬいぐるみがたくさんあって。
 とってもにぎやかで楽しいよ?
 だから安心して、お仕事行ってきて。
 もう寒いなんて思わないから。
 ぎゅーってあっためてくれるヒトだっているんだから。
 
 あたし、淋しくなんかないよ、ホントだよ?
 
 淋しくなんか。
 
 淋しくなんか。
 
 
 笑いながら呑みこんだ言葉――――
 
 
 
 
『いかないでママ。そばにいて』
 
 
 
「〜〜っ、ばかっ。変なこと、言わないでよ小宮っ。〜〜っ、お、お化粧、くずれちゃうじゃんっ」
 
 言いたかった言葉。でも絶対に言えない言葉。
 笑顔の下で、呑みこんで。呑みこんで。
 心の奥底にしまいこんだ、子供のころのあたしの言葉。
 そっと抱き寄せる小宮の胸に包まれて思い出した。
 
「化粧なんてしなくても比奈さんは十分可愛いんだから、取っちゃえばいいんだよ。たまには思いっきり泣くのも美容にいいよ」
 
 バカ。チェリーのくせに。
 歯が浮きそうなセリフ、さらっと言うんだ。この天然。
 
 あたし、泣いてる自分なんて、好きじゃないんだから。
 つまんないコトでくよくようじうじしたくないの。
 楽しいことだけ考えて笑ってたいの。
 何も考えずに、笑ってたいの。
 
 なのに小宮は、簡単にあたしを泣かせてくれちゃう。
 
「ちょ、ちょっとだけ、なんだからっ。っ、今日は、涙腺、おかしいだけ、なんだからっ」
 
 それはきっと、小宮の胸があったかいからだ。
 あんまりあったかくて気持ちいいから、ふっと気が緩んじゃったんだ、きっと。
 今まで感じたことのないあったかさ――ポカポカ幸せな気持ちにくるまれてる。
 その中にはほのかな甘酸っぱさがあって――――
 なんだろうこれ。よく分からないけどずっとこうしていたい。
 
 深く考えるのはやめにして、心地良い小宮の鼓動を聞いていた。
 肩に置かれた手はいつのまにか背中にまわってて。優しくあたしを抱き寄せてくる。
 
 気持ちいいな。ただ抱き締められてるだけなのに。気持ちいい――
 
 不思議な安心感に包まれて、いつしか涙は止まっていた。
 それでもまだ浸っていたかったけど。
 
 耳元に囁かれる声があたしの意識を現実に戻してしまった。
 
「比奈さん……。ずっと、言えなかったことがあるんだ。今まで自分に自信がなくて……」
 
 歯切れの悪い切り出しのセリフ。せっかくあったまった胸がすっと冷えた。
 
「言ったらこの繋がりすらなくなっちゃいそうで、怖かったんだ。……あんな僕の言葉から始まって……。何度も後悔した。だから比奈さんの友達に友達面するなって言われた時も、何も言い返せなかったんだ」
  
 あたしはハッと顔を上げた。
 
「あたしの友達って……イツキのこと? そんなこと言ったのイツキ?」
「気にしないで。それはもういいんだ。言われても仕方ない、って思ったし。僕がハッキリしなかったからいけないんだ」
 
 ハッキリって……どういうこと?
 また胸の奥にもやもやが生まれ始める。
 肩をぐっと掴んで真剣な顔で見つめてくる小宮。嫌な予感がした。
 
「比奈さん。正直に言うよ。僕は……」
 
 どくん、と視界が揺れた。
 
「僕は、比奈さんが――」 
 
 
 バタンッ! 
 
 
 その時、勢いよく扉が開かれた。
 
 いっ。
 
「小宮くぅ〜〜んっ!」
 
 甘ったるい声と共にノックもなしに部屋に入って来る乱入者達。
 空気は一瞬にしてぶっちぎられ、あたしはぎくっと固まった。
 なっ、なんつータイミング。いきなり失礼すぎない?
 でもって話途中だった小宮の慌てぶりときたら。凄い反応。
  
「は、はいぃぃぃっ!」
 
 瞬間跳ね上がり、あたしからバッと50センチほど飛びのく。
 わざとらしくマグカップを手に取り、引き攣った愛想笑いを乱入者に向ける。
 その身の素早さに唖然となった。
 
 やるな小宮! 部活で鍛えた甲斐があったね!
 これもひとつの成長ってやつかしらん。
 
「ようやくお仕事終わったよぉ〜。もうクタクタ。あたしにもコーヒー淹れてくれるぅ?」
「あたしも〜」
「あたしはミルク入りね〜」
「はい、ただいまお淹れします!」
 
 アカリさん。ミチルさんにケイコさんも。
 部屋に入って来たときの甘ったるい声で予想はついたけど。
 乱入者はキャバ嬢のおねーさん達だった。
 一瞬ホッとしたけど……何しにきたの? って分かりきった話だけど。
 
「あ、比奈ちゃん、お邪魔してごめんね。疲れてんでしょ? 寝てれば?」
 
 あたしをチラッと見て、とりあえずってカンジで気遣ってくれてるアカリさん。
 寝てられるわけないでしょ。コンタンみえみえですから!
 釘を刺しておこうと口を開いたけど。
  
「ねぇねぇ小宮く〜ん。一緒の車で帰らない?」
 
 言葉を発する前にさっさと会話を打ち切られてしまった。
 おいおい。しかも直球お誘い発言? 連れてきたあたしの目の前で?
 アカリさんが堂々と誘いをかけると、他二名もあたしもあたしもと小宮に群がりだす。
 ちょっと待ちなさいおねーさま方。てゆーか待てコラ。
 
「いえ、僕はあの……」
「帰る方向が全然違うでしょっ」
「いいじゃんいいじゃん。一緒に帰ろぉ〜」
「あたしはウチまで送って欲しいな!」
「ダメ! あたしと帰るんだよね? 小宮くーん♪」
 なんでやねん! 
 
 ジトッと三人の魔女を睨んでみる。
 だけどあたしなんかチラとも見やしない。
 完全にスルー。どうしてくれよう。殴ってもいい?
 
 拳を震わせるあたしをよそに調子に乗りまくる魔女三人。
 あたしが止めるタイミングを見計らってる間にも行為はどんどんエスカレートして、
 
「ア・アカリさんっ。コーヒーこぼれますからっ。よ、寄りかからないでくださいっ」
「だって疲れちゃってぇ〜。肩貸してよ小宮クン」
「アカリ、独り占めはズルイよ! 小宮クン、疲れたっしょ? マッサージでもどう?」
「マッサージならあたしの方がうまいよ! 足やったげる!」
「ちょっ、あ・あんまり触らないで、うわっ!」
 
 その遠慮のない攻撃にもみくちゃにされ、たじたじの小宮。やりすぎだよみんな。
 あたしはひくつく頬を抑えながら微かに震える声で、
「み、みんな、そのくらいにしなよっ。小宮は女の人苦手なんだからっ」
 なんてトゲトゲしく注意してみたけど、一向に収まる気配なし。
 とうとう小宮は魔女三人に抱きつかれ、
 
「や、やめっ、すみませんっ、すみませんっ、僕、ほ・本当に女の人苦手なんです! もうキツイんでってうわぁぁ!! どっ、どこ触ってるんですかぁ〜〜っ!!」
 
 さすがに限界超えたらしく、久々のパニック状態に。
 
「アカリさんっ。ミチルさんっ。ケイコさんっ」
 
 ひくひく。カップからコーヒーがこぼれる。
 みんな気安く触りすぎじゃない? こ、小宮の保護者としては見過ごせない状態なんですケド。
 
「やだもぉ〜ウブなんだからっ。か〜わいぃ〜〜っ!」
「小宮クン、あたしが初体験させたげる!」
「あっ、ぬけがけっ! あたしにしなよっ! サービスしたげるから!」
 
 くぉらぁぁぁっ! 
 悪ノリしすぎだよっ! いい加減にしてみんなっ!
 
 小宮の初体験の相手はあたしなのっ! 小宮はあたしのなのっ!
 
 
 って叫びだしそうになるのを、だけど何かが押し留めた。
 
 どこか冷静な部分があたしの口を封じてしまう。
 
 ……確かに、初体験の相手はあたしがするって約束したけど。
 
 
 ――もし、小宮が他のコとしたいって言ったら……。 
 
 
 
 止める権利は……あたしには――ない……よね。
 
 
 すっ、と血の気が引いた。
 喉が詰まる。
 
 あたしはカノジョでもなんでもないし。小宮はあたしのモノじゃない。
 
 暗転する周囲の景色。同時にもやもやとしたものが胸に広がっていく。 
 
 ……さっき言いかけたこと。聞かずにすんだけど、きっと近いうちに言われるだろう。
 ふと頭をよぎる。
 
 あの話はなかったことに……って。
 
 十中八九。言われる気がする。
 
 胸が痛い。
 考えたくない。なのに思考が止まらない。
 
 ……もし、そう言われたらきっと。あたし達はただの友達になって。
 今まで通り小宮は接してくれるとは思う。誰にでも優しいヤツだから。
 そしていつか小宮にはカノジョができるよね。
 今の小宮ならカノジョになりたいってコは沢山いるから、その気になればきっとすぐにできる。
 あたしは友達としてそれを祝ってあげなきゃいけないんだ。
 初体験はカノジョと。そんなのごく当然の話。
 あたしとのことは忘れて。
 小宮はカノジョの肩を。
 あのあったかい胸で。
 
 抱いたり――――
 
 
 
 ……抱いたり、するのかな。
 
 
 
「助けて比奈さぁぁ〜〜〜〜んっ!!」
 
 小宮の悲鳴で物思いに沈んでたあたしはハッと我に返った。
 いまだもみくちゃにされてる小宮。蝶ネクタイが外れてる。うひゃっ。なんて恰好に。
 
「あらら。大変な人気ねカレ」
 いつのまにかお座敷の前にメイさんが立っていた。
 チャーミングな口元を綻ばせてにこにこ笑ってる。
「助けに行かなくていいの比奈ちゃん? このままじゃカレ、お持ち帰りされちゃうよ?」
 そう言われて弱気になりかけてた自分に気付く。
 
 そうだ。まだあたしは小宮と繋がってる。
 まだはっきりと言われたわけじゃない。小宮のチェリーはまだあたしのモノ。
 それだけは絶対……。
 
 
 絶対。
 
  
 ぜぇぇっったいっ!! 
 
 
 
 他の女には渡さないっ!!
 
 
 
「いい加減にしてみんな……」
 
 ゆっくりと噛みしめるように呟き、ゆらりと立ち上がる。
 
 試しに指を鳴らしてみると、ボキボキッといい音が鳴った。
 
 こっちを振り返った三人がびくっとあとずさる。
 
「いっ! ひ・比奈ちゃん。なんかオーラ出てる、出てる。バックになんかしょってる! 落ち着いて!」
「軽い冗談だよ。や、やだなぁ〜そんな本気の目でっ」
「こっ、小宮クンが可愛いから、つい、調子にノっちゃったのよネ? もう離れるから! ネ?」
 
 
 ふ。ふふふ。ふふふふふ…………。
 
 
「仏の顔も…………一度で十分っ!! 天罰っ!! いっきまぁぁぁすっ!!」
 
  
 叫ぶと同時に拳を振り上げ、魔女三人に突っ込んでいく。
 
 その後の熱き女の戦いはかなり一方的なものだったらしい――――ってのは、後で聞いた話。 
  
  
		
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