放課後、あたしは小宮の姿を探して校舎の中を歩いてた。 いつもなら渡り廊下あたりを掃除してるんだけど。 箒が一本倒れてるだけで、小宮の姿はなかった。 掃除が終わったんなら箒を片付けてるはず。だから、小宮はまだいると思って。 職員室を覗いた後、教室で待とうと足を返した。 今日はどうしても小宮と一緒に帰りたい。 なんだかよそよそしかったから。気になっちゃって。 ちょっとブルーな気持ちになってるだけだとは思うんだけど。 顔を派手にぶつけちゃったから。カッコ悪い、って落ち込んでるとか。 それなら元気付けてあげたい。 元気になって、いつもの小宮に早く戻って欲しい。 穏やかに微笑んでるいつもの小宮に。無性に会いたいから。 あのホッとできる笑顔を見れば、勇気が持てそうな気がするから。 イツキとちゃんと話し合う勇気が――。 二階へ昇る階段の欠けたヘリ。なんとはなしに触ってみた。 イツキ―― どうしちゃったんだろう。 お昼の険しい顔がふと頭をよぎった。 なんであんなにイライラしてたんだろう。きっと理由があるはずなんだ。 確かに、ちょっと怒りっぽいところはあるけど。あんなに感情を剥き出しにするイツキは珍しい。 基本的にイツキは冷静なヤツなのだ。 シニカルな笑顔。 悪いコトばっかしてるけど、仲間想いでカリスマがあって。 クラブで初めて会った時からあたしに優しくしてくれて。 遊びにいっぱい誘ってくれて。あたしの居場所を作ってくれた。 ウチがキャバクラだって知っても嫌な顔せずに、 「俺もキャバクラオーナーになりてー!」 って笑ってくれて。人肌恋しい夜は一緒に寝てくれた。 大事な友達だから―― 階段を昇りきったところで一息ついた。 教室に目を向けると、ちょうど麻美が飛び出してくるのが見えた。 なんだか慌ててる風だ。 麻美の方もあたしを見つけて大声であたしを呼んだ。 「比奈ーっ!! 大変だよっ!!」 そのやたら焦ってる声にびっくりして瞬きする。 「どうしたの?」 駆け寄ってくる麻美に訊き返すと、額に汗を浮かべながら麻美は言った。 「今さっき、小宮がイツキに連れてかれて……体育館裏! やばいカンジだった!!」 「えっ!?」 小宮が!? イツキに!? なんで!? 「小宮の頬の怪我もイツキなんだよ! ナニされるか分かんないよ!? あたし、先生呼んでくるから!」 「な……ホントそれ!? あ、あたし、止めてくる!!」 背筋がぞわっとした。 小宮、そんなコト、一言も言わなかった! なんで!? 今上がってきた階段を駆け下り、全速力で体育館に向かう。 もしホントにイツキが小宮を殴ったんだとしたら……。 今も小宮を殴ってるんだとしたら。 小宮が死んじゃう!! あの細い体で、イツキの拳を受けるなんて。ポキッと折れかねない。 イツキは趣味でボクシングも齧ってるのだ。 ケンカもかなり強い。 ぎりぎりと胸を締め付ける不安の中、体育館が見えてくる。渡り廊下を飛び出し、建物の横にまわる。 怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。 「口答えすんじゃねぇメガネッ!!」 イツキの声だ。 心臓が縮み上がる。 「……つっただろ! ……とお前じゃ、住む世界が違うんだよっ! アイツに近寄んなっ!!」 何かを言ってるけど途切れ途切れでよく分からない。 でも近付くにつれ、小宮の弱々しい声も聞こえるようになってきた。 「ただの友達でも……ダメなんですか……」 「ダメに決まってんだろ! 優等生の友達ヅラってヤツほどムカつくモンはねぇ! ハラん中では見下してるくせによっ!」 「うぁっ! そ、そんなこと」 「目障りだっ! 今すぐアイツの前から消えろっ!」 「小宮っ! イツキッ!」 体育館の壁が切れると同時に飛び込んでくる二人の男子生徒の姿。 一人が、塀に押し付けたもう一人の襟元に掴みかかってるところだった。 「やめてイツキ!!」 大声を出すと、驚いた二人の顔がこちらを向いた。 一人は明るい茶髪で野生的な雰囲気の男子。首のタイを外してる。 確かにイツキだ。 もう一人は―― 思わず、息を呑んだ。 すぐには誰だか分からなかった。いつものメガネが消えてたから。 頬のガーゼも消えてて、それがむき出しになっていた。 暴行の印。 青紫色に、腫れあがった頬の傷。 口の端からは真っ赤な血が滴って―― こんなの――あり得ない!! カッと全身が燃え上がった。体中の血が沸騰した。 「なんてことすんのイツキ!」 勢いよく叫んで足を踏み出した。 酷い。酷すぎるよイツキ! 小宮がなにしたっていうの!? 「比奈!? なんでここに!」 「そんなのどうでもいい! 小宮を放して!」 拳を振り上げかけてたイツキに怒鳴る。 近付くと、小宮が弱々しい声であたしの名を呼んだ。 「比奈さん、こないで……」 「なに言ってんの小宮! 保健室行かなきゃ! 一人じゃ行けないでしょ!?」 ズンズン歩み寄って二人の間に割って入る。 本当に酷い傷。 息も絶え絶えに崩れ落ちる小宮。 地面にはフレームの歪んだメガネが転がってる。 痛々しすぎて涙が滲んできた。 「比奈、そんなヤツに構うな」 あたしの肩を掴んでくるイツキをキッと振り返って言った。 「そんなのあたしの勝手でしょ!? なんでこんなコトすんのイツキ! 素人に暴力振うなんて最低だよっ!」 ちょっとキツめかとは思ったけど。あたしも頭に血が昇っちゃって。 つい激しく責め立てると、イツキの顔が険しく歪んでいった。 憎々しげ、とでもいうような、ギラつく瞳。 イツキのこんな顔――――初めて見た。 あたしの知ってるイツキじゃない。 あたしの知ってるイツキの姿は―― いつも仲間に囲まれて、楽しそうにケラケラ笑ってたり。 自信ありそげに悠然と構えてたり。 そして時たま、少し淋しそうに遠くを見てたりなんかもする。 ふざけてばっかで、真面目な話が嫌いで、ちょっとひねくれた言い方をして、ニヤニヤ笑う。 こんなに感情的になったところなんて見たことなかった。 少なくともあたしの前で、見せてくれたことはなかった。 「最低? お前が人のコト言えたギリか? お前だってその最低野郎の仲間だろうが」 え―― 今の、本当にイツキから出た言葉? 「なに言ってんのイツキ……。あたしは最低な人と友達になった覚えはないよ」 目を見開いてイツキを見返す。 「イツキのことだって……小宮を殴るのは許せないけど、最低なヤツなんて思ってないよ」 そうだよ。あたしの友達はみんないい人で、優しくて、あったかくって。 最低な人なんて、一人も知らない。 「おいおい――。今更おキレイな友達ごっこかよ。自分で分かってねぇのか? お前って女はな――」 「やめろっ!!」 その時、何かが横を駆け抜けた。 なに? なにが起こってんの? 驚きのあまり硬直するあたし。 小宮が……イツキに掴みかかってる!? 「てめっ……」 「君は比奈さんの友達じゃないのか!? なんでそんなことが言えるんだ!?」 いつもの小宮からは考えられない強い口調。怒ってる!? あの小宮が!? 「大事なものを守りたいなら、別のやり方があるはずだ! 暴力に訴えたり、ひねた言い方で守りたいものまで傷つけるなんて、まるっきり子供じゃないかっ!」 「なんだとこの野郎っ!」 イツキの怒鳴り声に、ビクッと肩が震える。 どうしよう。どうしよう。 取っ組み合いが始まってしまった。小宮をグイッと押し返すイツキ。 それから素早く小宮のタイを掴んで引き落とし、胸板に膝蹴りをめり込ませる。 なんてことを! 続けざまに落とそうとする肘打ちを止めるため、あたしはその腕に飛びついた。 「やめてよイツキ! 小宮が死んじゃう!」 「うるせぇ! 女は引っ込んでろっ!」 ドンッ、と激しく突き飛ばされた。 やっぱりあたしじゃどうにもならない。 地面に倒れた拍子に膝をしたたか打ち付けた。 「っ! 比奈さんっ」 お腹を押さえてうずくまってた小宮が顔を上げる。 あたしの心配してる場合じゃないって。 「女の子に手をあげるなんて――」 「なんだよ、ひょろメガネ。やんのか?」 挑発的に笑うイツキを見上げ、地面に手をつく。立ち上がろうとするけど力が足りずに、また突っ伏す小宮。 いいから。あたしのことはいいからムリしないで。 だけど小宮は再び起き上がるのだ。どう見てももう限界なのに。 ふらつきながらも目だけは強い光を持って、イツキを真っ向から睨むのだ。 「もう、僕は遠慮しない」 はっきりと、意志を含んだ声。 「んだと――」 「君たちの間には強い絆があるんだと思ってた。僕なんかには割り込めないような。だから引こうと思ったんだ。――でも、それは間違いだったって、今分かったよ」 雰囲気がいつもと違う。気弱な小宮じゃない。 一瞬驚いた顔した後、目に険しさを増すイツキ。殺気のようなものが漂い始める。 「……はっ。言うじゃねぇか優等生。二度と立てなくしてやろうか?」 イツキの迫力にごくりと喉を鳴らすあたしの横で、足を踏ん張る小宮。 逃げて欲しいのに、イツキの脅しにも動じる風がない。襟元に手をやり、タイを掴みながら言うのだ。 「殴りたいなら殴ればいい。だけど僕は絶対に引かない。……そうだよ。優等生が、なんだってんだ! そんなの関係あるもんか!」 力強い声が、辺りに木霊した。 言い放つと同時に身を起こし、タイを引き抜く小宮。まさかやる気なの!? 「言ったなメガネ! どんだけ強がれるか試してやるよ!」 「負けるもんか! もう迷わない! 大事なものは自分の力で守るんだっ!!」 爆発したように、空気が弾けた。 投げ捨てられたタイがふわりと宙を舞う。 なんなの!? なんで二人がいがみ合うの!? 「やめてぇ――っ!!」 「先生! あっちですっ!」 その時、緊迫した空気を打ち破ったのは麻美の声だった。 先生を呼んできてくれたんだ! まさに天の助け。あたしはさっと起き上がり、その声に反応して止まった二人の間に割り込んだ。 小宮を後ろに庇い、両手を広げてイツキの前に立つ。 これ以上、一発だって小宮を殴らせない! 「比奈さん、危ないからどいて!」 でも信じられないことに、身を乗り出した小宮に肩を掴まれ、脇にどけられる。 意外な力強さにびっくりした。 小宮ってこんなに力あったっけ!? 「こらぁーっ! ケンカしてるのはどこのどいつだぁーっ!!」 「チッ!」 息巻いてる先生の声に、イツキは拳を下ろして舌打ちした。 麻美ったら、ナイス人選! あの声は、筋肉マンの呼び名が高い体育教師だ。その豪腕は岩をも砕くとか。 苛立たしげにあたし達を一瞥した後、イツキはまた舌打ちをひとつして踵を返した。麻美達がやってくる方向とは逆の方向に足を向ける。 そして、風のように走り去っていってしまった。 「比奈さん、大丈夫!?」 呆然とイツキの背中を見送ってると、いつのまにか小宮があたしの顔を覗きこんでいた。 心配そうな顔。 大丈夫って……それはあたしのセリフだよ。 「平気平気。まったくイツキったらどうしちゃったんだろうね。ホントにごめんね小宮」 笑おうとしたけど、うまく笑えなかった。 頬が引き攣ってる。あれ? なんか泣きそうだあたし。 歩こうとしたら足に痛みが走った。 ああ。膝を擦りむいてる。どうりでさっきから痛いと……。 「比奈さん……。足、怪我してる。一緒に保健室に行こう。僕は大丈夫だから……彼のことも、そのうちなんとかなるよ、きっと。だから安心して。ね?」 言われて見上げると、小宮の優しい瞳があたしを見つめてた。 どう見ても全然大丈夫じゃないのに。ムリしちゃって。ひとの心配ばっかして。 頭を……撫でてくれた。 なんだかくすぐったくって気持ちいい。 あはは。おかしいね。いつもと立場が逆だ。 小宮に励まされるなんてね。 いつのまにか潤んでた視界を閉じて、こくん、とひとつ頷いた。 もう一度顔を上げた時には、笑ってみせることができた。
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