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19.純情少年は決意する


 

 放課後、あたしは小宮の姿を探して校舎の中を歩いてた。
 いつもなら渡り廊下あたりを掃除してるんだけど。
 箒が一本倒れてるだけで、小宮の姿はなかった。
 掃除が終わったんなら箒を片付けてるはず。だから、小宮はまだいると思って。
 職員室を覗いた後、教室で待とうと足を返した。
 
 今日はどうしても小宮と一緒に帰りたい。
 なんだかよそよそしかったから。気になっちゃって。
 ちょっとブルーな気持ちになってるだけだとは思うんだけど。
 顔を派手にぶつけちゃったから。カッコ悪い、って落ち込んでるとか。
 それなら元気付けてあげたい。
 元気になって、いつもの小宮に早く戻って欲しい。
 穏やかに微笑んでるいつもの小宮に。無性に会いたいから。
 あのホッとできる笑顔を見れば、勇気が持てそうな気がするから。
 イツキとちゃんと話し合う勇気が――。
 
 二階へ昇る階段の欠けたヘリ。なんとはなしに触ってみた。
 
 イツキ――
 
 どうしちゃったんだろう。
 
 お昼の険しい顔がふと頭をよぎった。
 
 なんであんなにイライラしてたんだろう。きっと理由があるはずなんだ。
 確かに、ちょっと怒りっぽいところはあるけど。あんなに感情を剥き出しにするイツキは珍しい。
 基本的にイツキは冷静なヤツなのだ。
 シニカルな笑顔。
 悪いコトばっかしてるけど、仲間想いでカリスマがあって。
 クラブで初めて会った時からあたしに優しくしてくれて。
 遊びにいっぱい誘ってくれて。あたしの居場所を作ってくれた。
 ウチがキャバクラだって知っても嫌な顔せずに、
「俺もキャバクラオーナーになりてー!」
 って笑ってくれて。人肌恋しい夜は一緒に寝てくれた。
 
 大事な友達だから――
 
 階段を昇りきったところで一息ついた。
 教室に目を向けると、ちょうど麻美が飛び出してくるのが見えた。
 なんだか慌ててる風だ。
 麻美の方もあたしを見つけて大声であたしを呼んだ。
 
「比奈ーっ!! 大変だよっ!!」
 
 そのやたら焦ってる声にびっくりして瞬きする。
「どうしたの?」
 駆け寄ってくる麻美に訊き返すと、額に汗を浮かべながら麻美は言った。
「今さっき、小宮がイツキに連れてかれて……体育館裏! やばいカンジだった!!」
 
「えっ!?」
 
 小宮が!? イツキに!? なんで!?
 
「小宮の頬の怪我もイツキなんだよ! ナニされるか分かんないよ!? あたし、先生呼んでくるから!」
 
「な……ホントそれ!? あ、あたし、止めてくる!!」
 
 背筋がぞわっとした。
 
 小宮、そんなコト、一言も言わなかった! なんで!?
 
 今上がってきた階段を駆け下り、全速力で体育館に向かう。
 
 もしホントにイツキが小宮を殴ったんだとしたら……。
 今も小宮を殴ってるんだとしたら。
 
 小宮が死んじゃう!!
 
 あの細い体で、イツキの拳を受けるなんて。ポキッと折れかねない。
 イツキは趣味でボクシングも齧ってるのだ。
 ケンカもかなり強い。
 
 ぎりぎりと胸を締め付ける不安の中、体育館が見えてくる。渡り廊下を飛び出し、建物の横にまわる。
 
 怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
 
 
「口答えすんじゃねぇメガネッ!!」
 
 
 イツキの声だ。
 心臓が縮み上がる。
 
「……つっただろ! ……とお前じゃ、住む世界が違うんだよっ! アイツに近寄んなっ!!」
 
 何かを言ってるけど途切れ途切れでよく分からない。
 でも近付くにつれ、小宮の弱々しい声も聞こえるようになってきた。
 
「ただの友達でも……ダメなんですか……」
「ダメに決まってんだろ! 優等生の友達ヅラってヤツほどムカつくモンはねぇ! ハラん中では見下してるくせによっ!」
「うぁっ! そ、そんなこと」
「目障りだっ! 今すぐアイツの前から消えろっ!」
 
 
「小宮っ! イツキッ!」
 
 
 体育館の壁が切れると同時に飛び込んでくる二人の男子生徒の姿。
 
 一人が、塀に押し付けたもう一人の襟元に掴みかかってるところだった。
 
「やめてイツキ!!」

 大声を出すと、驚いた二人の顔がこちらを向いた。
 一人は明るい茶髪で野生的な雰囲気の男子。首のタイを外してる。
 確かにイツキだ。
 もう一人は――
 
 
 思わず、息を呑んだ。
 
 
 すぐには誰だか分からなかった。いつものメガネが消えてたから。
 頬のガーゼも消えてて、それがむき出しになっていた。
 
 
 暴行の印。
 
 
 青紫色に、腫れあがった頬の傷。
 口の端からは真っ赤な血が滴って――
 
 
 こんなの――あり得ない!!
 
 
 カッと全身が燃え上がった。体中の血が沸騰した。
 
「なんてことすんのイツキ!」
  
 勢いよく叫んで足を踏み出した。
 
 酷い。酷すぎるよイツキ!
 小宮がなにしたっていうの!?
 
「比奈!? なんでここに!」
「そんなのどうでもいい! 小宮を放して!」
 拳を振り上げかけてたイツキに怒鳴る。
 近付くと、小宮が弱々しい声であたしの名を呼んだ。
「比奈さん、こないで……」
「なに言ってんの小宮! 保健室行かなきゃ! 一人じゃ行けないでしょ!?」
 ズンズン歩み寄って二人の間に割って入る。
 
 本当に酷い傷。
 
 息も絶え絶えに崩れ落ちる小宮。
 地面にはフレームの歪んだメガネが転がってる。
 痛々しすぎて涙が滲んできた。
 
「比奈、そんなヤツに構うな」
 あたしの肩を掴んでくるイツキをキッと振り返って言った。
「そんなのあたしの勝手でしょ!? なんでこんなコトすんのイツキ! 素人に暴力振うなんて最低だよっ!」
 ちょっとキツめかとは思ったけど。あたしも頭に血が昇っちゃって。
 つい激しく責め立てると、イツキの顔が険しく歪んでいった。
 憎々しげ、とでもいうような、ギラつく瞳。
 
 イツキのこんな顔――――初めて見た。
 あたしの知ってるイツキじゃない。
 あたしの知ってるイツキの姿は――
 
 いつも仲間に囲まれて、楽しそうにケラケラ笑ってたり。
 自信ありそげに悠然と構えてたり。
 そして時たま、少し淋しそうに遠くを見てたりなんかもする。
 ふざけてばっかで、真面目な話が嫌いで、ちょっとひねくれた言い方をして、ニヤニヤ笑う。
 こんなに感情的になったところなんて見たことなかった。
 少なくともあたしの前で、見せてくれたことはなかった。
 
   
「最低? お前が人のコト言えたギリか? お前だってその最低野郎の仲間だろうが」
 
 
 え――
 
 
 今の、本当にイツキから出た言葉?
 
 
「なに言ってんのイツキ……。あたしは最低な人と友達になった覚えはないよ」
 
 目を見開いてイツキを見返す。
 
「イツキのことだって……小宮を殴るのは許せないけど、最低なヤツなんて思ってないよ」
 
 そうだよ。あたしの友達はみんないい人で、優しくて、あったかくって。
 最低な人なんて、一人も知らない。
 
「おいおい――。今更おキレイな友達ごっこかよ。自分で分かってねぇのか? お前って女はな――」
 
「やめろっ!!」
 
 その時、何かが横を駆け抜けた。
 
 なに? なにが起こってんの?
 
 驚きのあまり硬直するあたし。
 
 小宮が……イツキに掴みかかってる!?
 
「てめっ……」
「君は比奈さんの友達じゃないのか!? なんでそんなことが言えるんだ!?」
 
 いつもの小宮からは考えられない強い口調。怒ってる!? あの小宮が!?
 
「大事なものを守りたいなら、別のやり方があるはずだ! 暴力に訴えたり、ひねた言い方で守りたいものまで傷つけるなんて、まるっきり子供じゃないかっ!」 
「なんだとこの野郎っ!」
 
 イツキの怒鳴り声に、ビクッと肩が震える。
 どうしよう。どうしよう。
 取っ組み合いが始まってしまった。小宮をグイッと押し返すイツキ。
 それから素早く小宮のタイを掴んで引き落とし、胸板に膝蹴りをめり込ませる。
 なんてことを!
 続けざまに落とそうとする肘打ちを止めるため、あたしはその腕に飛びついた。
 
「やめてよイツキ! 小宮が死んじゃう!」
 
「うるせぇ! 女は引っ込んでろっ!」
 
 ドンッ、と激しく突き飛ばされた。
 やっぱりあたしじゃどうにもならない。
 地面に倒れた拍子に膝をしたたか打ち付けた。
 
「っ! 比奈さんっ」
 
 お腹を押さえてうずくまってた小宮が顔を上げる。
 あたしの心配してる場合じゃないって。
 
「女の子に手をあげるなんて――」
「なんだよ、ひょろメガネ。やんのか?」
 
 挑発的に笑うイツキを見上げ、地面に手をつく。立ち上がろうとするけど力が足りずに、また突っ伏す小宮。
 いいから。あたしのことはいいからムリしないで。
 だけど小宮は再び起き上がるのだ。どう見てももう限界なのに。
 ふらつきながらも目だけは強い光を持って、イツキを真っ向から睨むのだ。
  
  
「もう、僕は遠慮しない」
 
 
 はっきりと、意志を含んだ声。
 
 
「んだと――」
 
「君たちの間には強い絆があるんだと思ってた。僕なんかには割り込めないような。だから引こうと思ったんだ。――でも、それは間違いだったって、今分かったよ」
 
 雰囲気がいつもと違う。気弱な小宮じゃない。
 
 一瞬驚いた顔した後、目に険しさを増すイツキ。殺気のようなものが漂い始める。
 
「……はっ。言うじゃねぇか優等生。二度と立てなくしてやろうか?」
 
 イツキの迫力にごくりと喉を鳴らすあたしの横で、足を踏ん張る小宮。
 逃げて欲しいのに、イツキの脅しにも動じる風がない。襟元に手をやり、タイを掴みながら言うのだ。
 
「殴りたいなら殴ればいい。だけど僕は絶対に引かない。……そうだよ。優等生が、なんだってんだ! そんなの関係あるもんか!」
 
 力強い声が、辺りに木霊した。
 
 言い放つと同時に身を起こし、タイを引き抜く小宮。まさかやる気なの!?
 
「言ったなメガネ! どんだけ強がれるか試してやるよ!」
  
「負けるもんか! もう迷わない! 大事なものは自分の力で守るんだっ!!」
 
 爆発したように、空気が弾けた。
 
 投げ捨てられたタイがふわりと宙を舞う。
 
 
 なんなの!? なんで二人がいがみ合うの!?
 
 
 
「やめてぇ――っ!!」
 
 
 
「先生! あっちですっ!」
 
 
 その時、緊迫した空気を打ち破ったのは麻美の声だった。
 
 先生を呼んできてくれたんだ!
 
 まさに天の助け。あたしはさっと起き上がり、その声に反応して止まった二人の間に割り込んだ。
 小宮を後ろに庇い、両手を広げてイツキの前に立つ。
 
 これ以上、一発だって小宮を殴らせない!
 
「比奈さん、危ないからどいて!」
 
 でも信じられないことに、身を乗り出した小宮に肩を掴まれ、脇にどけられる。
 意外な力強さにびっくりした。
 小宮ってこんなに力あったっけ!?
 
「こらぁーっ! ケンカしてるのはどこのどいつだぁーっ!!」
 
「チッ!」
 息巻いてる先生の声に、イツキは拳を下ろして舌打ちした。
 麻美ったら、ナイス人選! あの声は、筋肉マンの呼び名が高い体育教師だ。その豪腕は岩をも砕くとか。
 苛立たしげにあたし達を一瞥した後、イツキはまた舌打ちをひとつして踵を返した。麻美達がやってくる方向とは逆の方向に足を向ける。
 
 そして、風のように走り去っていってしまった。
 
 
「比奈さん、大丈夫!?」
 呆然とイツキの背中を見送ってると、いつのまにか小宮があたしの顔を覗きこんでいた。
 心配そうな顔。
 大丈夫って……それはあたしのセリフだよ。
「平気平気。まったくイツキったらどうしちゃったんだろうね。ホントにごめんね小宮」
 笑おうとしたけど、うまく笑えなかった。
 頬が引き攣ってる。あれ? なんか泣きそうだあたし。
 歩こうとしたら足に痛みが走った。
 ああ。膝を擦りむいてる。どうりでさっきから痛いと……。
 
「比奈さん……。足、怪我してる。一緒に保健室に行こう。僕は大丈夫だから……彼のことも、そのうちなんとかなるよ、きっと。だから安心して。ね?」
 
 言われて見上げると、小宮の優しい瞳があたしを見つめてた。
 どう見ても全然大丈夫じゃないのに。ムリしちゃって。ひとの心配ばっかして。
 
 頭を……撫でてくれた。
 
 なんだかくすぐったくって気持ちいい。
 
 
 あはは。おかしいね。いつもと立場が逆だ。
 小宮に励まされるなんてね。
 
 
 いつのまにか潤んでた視界を閉じて、こくん、とひとつ頷いた。
 
 もう一度顔を上げた時には、笑ってみせることができた。
 
 
 
		
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