「比奈、ちょうど良かった。話があんだ」 渡り廊下から、機嫌良さげな顔のイツキが、あたしの元にやってきた。 ちょっと冷や汗。隣にはイツキが気に入らない小宮がいる。 また機嫌悪くなっちゃうかも、とちらっと小宮を見やる。 ん? どうしたんだろう小宮。真っ青な顔しちゃって。 微かに唇が震えてる。 近付いてくるイツキはあたしの横の小宮に目をとめた。だけど不機嫌そうな様子は全然見せなくて、ニヤッと意味深な笑みすら浮かべてみせた。 「あん? お楽しみ中だったか、もしかして?」 「ナニ言ってんのイツキ。一緒にお昼食べてただけだよ」 「そっかそっか。ワリィな、小宮クン。お邪魔しちゃってよ」 「い、いえ、別に……」 萎縮しながら答える小宮。 「大丈夫? また傷が痛んできた?」 あたしは小宮の顔を覗き込んで訊いた。 様子がおかしい。 「具合でも悪くなった? 一緒に保健室行こうか? ごめんイツキ、話はまた後で……」 「ぼっ、僕なら大丈夫だから、比奈さんっ!」 「えっ?」 突然立ち上がる小宮。 ビックリした。 「僕、もう教室に戻るよ」 下を向いたままあたしを見もせずくるりと背を向ける。 なに? いきなりどうしたの? イツキが薄っすら笑いながらその背中を見送る。 「あーらら。つめてぇな、お前のトモダチ」 「今日はちょっといつもの小宮じゃないみたい」 いつもの小宮はあんな素っ気ない態度なんてとらない。 ホントにどうしちゃったんだろ。 小宮が校舎の中に消えてった後、あたしに向き直るイツキ。 「それより比奈、週末のイベント、面白いのやるんだぜ今週。お前もこいよ」 イツキの話ってのは、どうやらクラブへのお誘いらしい。 それは楽しそうな話なんだけど……。 「ごめん。まだお店の手伝いやんなきゃいけないから。夜は遊べないよ」 あたしは肩をすくめて謝った。 なかなか新しいバイト、決まらないんだよね。 今度こそムッと不機嫌そうな顔になるイツキ。 声を強めて言う。 「お前、最近そればっかだよな。ホントに店の手伝いなのかよ?」 「手伝い以外に何があるっての。仕方ないでしょー」 「小宮とは昨日デートしてたじゃねぇか」 「へ? 小宮と?」 そ、それは確かに。 ……って、なんで知ってんのイツキ。 「放課後ちょっと公園に寄って帰っただけだもん。その後はお店に行ったよ?」 気まずい雰囲気になっちゃったので口をとんがらせて返す。 イツキは「フン」ってカンジにあたしをナナメに見る。 「昨日はそうでも、いつもはどうだかな。土曜はあいつと楽しんでんだろ? もうヤッたのか?」 なっ! あたしはギョッと固まった。 「な、なんか、ヤな言い方じゃない? それって。まだヤッてないもん!」 「まだ、ってことはこれからヤるつもりなんだろ?」 うぎゃっ。語るに落ちたっ。 あわあわするあたしを冷たい目で見下ろすイツキ。それからニヤリと笑って言った。 「まぁ別にお前が誰とヤろうと構わねぇけどよ。トモダチ疎かにするほどの奴じゃねぇだろ? たまには俺ともヤろうぜ」 どこか毒を含んだ言葉。なにこれ。 違う。いつものイツキと違う。 いつものイツキはもっと楽しく誘ってくるのに。 驚いて固まるあたしの顎がクイッと持ち上げられる。 塞がれる呼吸。 するりと舌が入ってきた。 「んっ――」 腰を引き寄せられる。 間近に感じるイツキの体温。微かなタバコの匂い。 嗅ぎなれてるはずなのに―― ドンッ 思わず、突き飛ばしてしまった。 「こっ……こんなトコで、何考えてんのイツキ! 人目があるでしょっ!?」 そう、ここは学校だから。 さすがに学校でディープはどうかと思う。 だから突き飛ばしちゃったんだきっと。 ちらっと周囲に目を走らせる。 まさか、小宮は見てないよね……? 「こんなトコって、学校でキスくらい、今まで何度もやったじゃねぇか」 「たまにかる〜くするくらいでしょ!? 人目につかないところで! こういう本気のキスは夜だけにしてよ!」 「なに急に真面目ぶってんだよ、お前。ウチの手伝いとか言ったりしてよ……。あのメガネと付き合いだしてから真面目が移っちまったんじゃねぇのか?」 はぁ? イツキったら、なに言ってんだか。 「まるであたしが真面目じゃないみたいなコト言わないでよ。あたしはずっと真面目に生きてるもん。小宮とウチの手伝いは関係ないし」 夜遊びしてるから不良だとでも言いたいんだろうかイツキは。 あたし達は楽しい夜を過ごしたいだけなのに。 「どうしちまったんだよ比奈」 「どうしたって……」 「お前、最近おかしいぞ」 おかしい? あたしが? 「前は誘われたらどこにでもすぐ駆けつけたじゃねぇかよ。店の手伝いだってそんなに真面目にしてなかった」 そんなの……今はお店がピンチだから、状況が違うだけで。 「俺達から離れていく気か? 俺達、仲間だろ?」 「なに言ってんのイツキ。当たり前じゃない。みんな大事な遊び仲間――」 「違う」 イツキの瞳が、鋭さを増した。 「家から飛び出した仲間だ」 「え?」 その一瞬、風の音が消えた。 どういう意味だろう。言ってることがよく分からない。 家から―― 飛び出した? あたしは別に家を飛び出してない。 夜、外で遊ぶのはネオンがキレイだからだ。 だって、外はキラキラして明るくて。 楽しそうな音楽と笑い声。 あったかい仲間達。 『行ってらっしゃい、ママ』 笑顔でママを送り出した後は、急に家の中が冷え込んで。 真っ暗な部屋の隅っこに、丸くなって震えてた。 寒い。ここはとても寒い。 外に目を向ければキラキラと光るネオン。 夜なのに明るくて、とても暖かそう。 暖かそうにあたしを誘っていた。 ――ここにおいで。 あそこなら、きっと寒くない。 あそこに行けばきっともう―― もう、この部屋で朝を待たなくてもいい。 「比奈」 はっと顔を上げる。 イツキがあたしを見下ろしてる。 いつのまにか掴まれた肩に小さな痛みが走った。 「あのメガネとはもう付き合うな」 「な、なにそれっ。そんなのあたしの勝手でしょ!?」 どうしてイツキにそんな命令されなきゃいけないの!? 「自分が傷つくだけだぞ!」 「イミわかんない!」 「アイツとお前とじゃ……」 「小宮を悪く言わないでよ!」 バシッと手を払いのけてた。 小宮とあたしとじゃどうだっての!? 「小宮はいいヤツだよ! むしろお人良しすぎて心配なくらいいいヤツだよ! あたしの大事な……大事な、トモダチだもん!」 最後の言葉は喉元につまりかけたけど。 小宮と付き合うな、なんて命令はきけない! 「比奈! てめぇ、俺に逆らうのか!?」 「なんでイツキのいうコトきかなきゃいけないの!? あたしはイツキの人形でも何でもないよ!」 「――っ! やっぱりあのヤロウのせいで……」 ギリっと歯軋りするイツキ。 なんだか怖い。 「比奈。今夜は付き合え」 「だから、今日も店の手伝いで……」 「一晩中じゃねぇだろ? 終わったらバイクで迎えにいく」 妙に迫のあるイツキの声。 じりじりと近寄ってくる瞳は真っ暗で底が見えない。 どうしよう。なんて返せばいいんだろう。 その時、麻美の声が大きく響いた。 「そこにいたの比奈! ちょっときてー!」 「麻美!?」 心底ホッとして振り返った。 「次の化学の実験準備、手伝ってって、先生がー!」 「わかった! 今いくー!」 さっとイツキから離れ、踵を返す。 「ごめんイツキ、店の後は疲れちゃって遊ぶ気力ないよ。また今度時間取るから」 素早く愛想笑いを送って渡り廊下へと足を動かす。 なんだかまともに顔が見れなかった。 背後で「くそっ」と小さく吐き捨てる声が聞こえたけど無視して麻美の元へ駆け寄る。 校舎に入ってから麻美に小声で訊いた。 「次、化学だったっけ?」 「違うよ、現社」 目をぱちくりさせる。 「え? なんで……」 「比奈が心配だから見てきて欲しい、って小宮が……」 「小宮?」 「それはまぁいいんだけど。比奈」 「ん?」 「イツキには気をつけな」 へ? 「いい機会だから、アイツとは切れちゃいなよ。実はあたし、あんまりアイツ好きじゃない」 「えっ? そうなの?」 驚いた。麻美がこんな風にハッキリと人の好き嫌いを言うなんて。 麻美は真面目な顔で歩きながら前方を睨んで言った。 「アイツの比奈を見る目……気に入らない。比奈のこと、ちゃんと分かってない」 「へ? どういうこと?」 意味が分からない。 「分かんないならいいよ。とにかくイツキにはしばらく近寄っちゃダメだよ」 そう言うと麻美は厳しい表情のままあたしに視線をくれた。 「うん……」 さっきのイツキの様子。確かにおかしかった。 でも大事な友達だから……切れる、なんてのはヤだな……。 また明日にでもイツキと話し合ってみよう。 もやもやした気持ちを振り切るように決意しながら廊下を歩いた。 だけど、再会を翌日まで待つことはなかったのだ。 この日の放課後。 事件は起きたから。
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